2015/10/23
稽古場日誌【客席編】…中村彩乃(役者) 準備しないための準備

今晩は。中村です
10月も終わろうとしていますが、いかがお過ごしでしょうか。気がつけば今年も終わり、光陰矢の如し、いやはや恐ろしいです。

さて、昨日は劇場での稽古でした。
珍しく、まず、通し稽古をしました。

先日も書いたような気がしますが、物語は常に進行するものです。終わるから始まるのでなく、始まるため終わります。当然のことようですが、しかし、俳優(または、公演の参加者)は、物語の終わり・経過・起きうる展開を「台本を読む」という行為を経て、既に知っています。この俳優と登場人物の間に生じる矛盾というか事象への認識の齟齬というか、の摺り合わせがむずかしく、また面白い部分でありまして。

自分の言葉や行動は、全て自分以外の何か(相手や環境)から、触発されて生まれるため、これを蔑ろにすると、会話ではなく、芝居は独りよがりのものになります。(と、私は思います)そのため、常に目の前の現象に対応しなければいけません。

ただ、昨日の稽古場では、登場人物のバックボーンといいますか、内的な、価値観の感覚というか、その登場人物の積み重ね(それまでの人生)といったものの扱いについて、考えさせられました。

登場人物について、台本から得られる情報をもとに、想像をします。例えば、その登場人物が、劇中で出てくるチケットを、どこで、誰と、何時に、買ったのか等々。
それらのことに思いを巡らせることは、なかなか面白いし得られるものはあると思います。
しかし、これは独りよがりの芝居と紙一重、という危険もあります。
この、稽古時間以外に俳優個人が創るものに固執しすぎると、「稽古」という折角の、自分以外の人との価値の摺り合わせの場の意味がなくなってしまいます。

先日出た「準備しないための準備」という言葉は、とても自分の中にしっくりしていて。稽古場で自由に芝居をするための準備をしつつ、それに寄りかからず、柔軟に在るための加減を、自分、また久野さんや七井さんとしていきたいと思います。

私自身は思慮浅く、恐らく、比較的″直感的に物事をみる″ことを好意的に感じるタイプの者なのですが、
缶の階(この脚本)では「なんか、演劇たのしー!」という感覚的な楽しみかたで終わるより、何が起こったのか・何をしたのかを考え、思考を重ねる方が、より楽しめるなと、極々個人的に感じます。

あと、久野さんの言葉を受けての、七井さんのとある台詞の芝居を見て、素で笑ってしまいました。まだまだ修業が足りません。

長くなりました。それでは、失礼しま



→匣の階公演詳細&チケット
→匣の階稽古日記

匣の階公演
【第1弾】イストワール第8話『Port- 見えない町の話をしよう -』脚本・演出:久野那美
神戸開港150周年記念「港都KOBE芸術祭」 連携事業@神戸アートビレッジセンター ギャラリー
2017年9月17日(日) ・9月18日(月祝)
【第2弾】『パノラマビールの夜』2018年1月















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