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舞台編稽古開始です

明日から舞台編の稽古が始まります。

12月の公演まで9ヶ月ほどあります。この時期から稽古を始めるケースはあまりないのですが、出演者が東京都京都に離れて住んでいるのでとにかく出来るときに少しずつ稽古することにしたのです。

舞台編の出演者はふたり。
太田宏さんと諸江翔大朗さんです。

太田宏さんとは17年前、「パノラマビールの夜」という作品を上演した際に出演してもらったのをきっかけに知り合いました。その2年後に船の階で「海に送った灯」という作品にも出演してもらっています。なので、ご一緒するのは3回目です。缶の階の企画は、2年前の太田宏さんのひとことから始まりました。

諸江さんは今回はじめてご一緒します。「缶コーヒーを持つ男」という、缶の階の看板のような役柄を演じてもらいます。昨年秋、チラシで募集しつつ、いろんなひとに声をかけて出演者を探していたのですが、「京都に諸江翔大朗さんという俳優がいる。新しいことに躊躇せず挑戦する人で、調和をとることに長けた俳優だ。」という噂を聞きました。今はインターネットという便利なものがあるので、さっそく検索してみました。
「頭を下げれば大丈夫」という、主に関西の演劇関係者のインタビューを集めたサイトで諸江さんの記事をみつけました。そこで彼は「ことば」について一生懸命語っていました。よく読むと、どちらかというと台詞劇よりも身体表現に興味のある役者さんのようでした。
演劇をしながらいつもいつも考えるのは「ことば」の可能性についてです。
私は劇作をするので、言葉にならないことから作品作りをすることができません。
それはある意味挑戦しがいのあることではあるのですが、小説や詩ではなく「演劇」というジャンルを選んだ以上、どこかで、「書き表すことのできないもの」に対する強いあこがれがあります。書くことではつかまえきれないもうひとつの「ことば」の可能性を知りたくて、私は戯曲を手に演劇の周りをぐるぐる回っているのではないかと思うのです。

太田宏さんは圧倒的に「文字に起こせる言葉」に関心のある俳優さんです。彼と演劇の話をすると、かならず「声」「音」「ことば」「物語」という単語が出てきます。役者の仕事は、書かれた文字を人間という媒体を通して出力することだというイメージがあるのではないかと思います。
対して諸江さんは物語からはみ出した部分の「ことば」に関心があるように思われます(私には)。
このふたりの組み合わせはとても面白いなと思ったのです。

「ヒーロー2」というこの作品には、ふたりの登場人物が登場します。
このふたりの関係はとても特殊なものです。
しばしば、おなじことを違うことばで言ったり、違うことを同じ言葉で言ったりします。
ふたりがほとんど同じ長い台詞を語るシーンもあります。

この戯曲の作者は、おなじような言葉が使われる場所や立場で全く位相の異なる内容を示し、致命的に相容れない状況を示す様を描くことで、ことばの可能性と残酷さについて考えようとしたのではないかと思います。

明日はまず、読み合わせをします。
そのあと…どうしましょう。
いろいろ考えていっても、結局は、その場で起きたことや起きなかったことが次に何をすべきか教えてくれます。
会話と同じで、次の思いがけない何かに至るための何かでなければ意味が無いような気がします。
そういうことを言ってるからいつまで経っても要領が悪いのですが。

でも、これまでの経験から、最初の読み合わせで「えええええええっ?そうなのですか?」と腰を抜かさなかったためしがなく、そこまで「ええええええっ?」な状況で準備したものが段取りよく使えるはずもなく、なんというか、稽古のための場所は道場のような場所になるのです。
でも、それが楽しいから稽古楽しいわけですし。

今はまだ誰も知らない、思いがけない「何か」に出会うための準備として、
とりあえず明日の懇親会で食べるものを作っています。
そして、ほんを読んでいます。

稽古の前の日にはもっとすべきことがあるのだろうかと毎回不安になります。
もっとそれらしいことをしようと思い立ち、この稽古場日記を書いてみています。


久野那美

舞台編0322

舞台編『ヒーロー2』初日の稽古が終わりました。
今日の舞台編チームは、作者の久野那美さん、出演者の太田宏さんと諸江翔大朗さんです。
週明けまでの三日間、稽古場にて缶詰めになります。
どうぞよろしくお願いいたします。

まずは読みから。紙面上の言葉は音となり、やがて俳優の身体により世界が象られていきます。
初めて出会って、でも二度、三度と重ねるごとにまた新たな出会いがあるようで、相手との関係を見出していく一方、物語が一枚ずつ層を成しているようでもありました。
明日明後日と、そして冬まで、まだまだ時間はあります。
一枚を選びとって透かしてみてもいいし、レイヤーのように複数枚を重ねてみても、タイル状に並べてみてもいいかもしれません。

演出助手・杉本奈月

舞台編0323

舞台編『ヒーロー2』二日目です。

昼下がりのアップにて、出演者の諸江さんがヨガを教えてくださいました。
背骨の一つ一つを、時間をかけて地面と接させていく過程。
久野さん曰く脊椎動物であることを実感できるとのこと…そう私たちは脊椎動物だったのでした。しかし、なかなか滑らかにいきません。
その傍ら、地面に溶接されている太田さん。
対照的なお二人です。

そして作品前半の立ち稽古。
段落から文へ、文から文節へ、文節から単語へ。
言葉が流れてしまわないように、音に区切りをつけていきます。
生まれたばかりの言葉に終わりを告げているようで、最期まで見送りたくなってしまいます。

明日は会場である船場サザンシアターにて稽古です。

演出助手・杉本奈月

舞台編0324

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舞台編『ヒーロー2』三日目。
久野さんの言葉を足場に、二日間で積み上げたものを、本物の舞台でさらに積み上げていきます。

と、数時間を遡り。
新しく加入したメンバーを加え、制作会議を行いました。
制作・スチールの北村泰一さん、演出助手の中村一規さん。
これまでの『階』にも参加されていました。
北村さんは、舞台ではなく物語をフィルムに収められる写真家です。
中村さんは、劇場の知識や経験が豊富で整理整頓が上手なお兄さんです。
お二人とも『階』に馴染みがあるためか、かつてない速さで話はまとまり、四人は地上へ。

ふたたび地下へ。
客席編オーディション以来の船場サザンシアターです。
当時は出演者の片桐慎和子さんと七井悠さんが、椅子を用いたエチュードをされていました。
今日は、この劇場ならではの上質な客席から、舞台編のお二人を観ていました。

どこを振り返っても黒い壁と壁。
そこへ重くのしかかる暗幕。
ここは劇場です。
生まれて一度も、日の目を見なかったヒーローは、舞台をさまよい続けます。
そして、地上から階段を下り、地下の劇場へたどり着いた俳優も。

さらに階下へ、落としてきたものを拾いに降りる。
何を落としてきたのだろうか。
何段目に落としてきたのだろうか。
途方に暮れていても、陽は落ちるばかりで。
だから闇雲に、彼らは自らの手と足で探り続けます。

三月は、これで終わりです。
四月は、また新たに。

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演出助手・杉本奈月

舞台編0412

舞台編『ヒーロー2』四日目。

四月稽古初日、ではなく稽古四日目です。
あくまで断続しているのではなく、連続しているということを甘く噛みしめた夜でした。

いつのまにか舞台に上がっていた人も、どこからともなく現れた登場人物も。
台詞やト書きが一連の紙面上に置かれているように、いつからか、どこからか、一つの切っ掛けに至るまでには、その切っ掛けに至るまでの物語があります。

数秒、数行、数歩……もしかするともっと昔なのかもしれない。
一つ一つの始まりを明らかにしていくことで、ようやく二人の登場人物が舞台に立ち上がりつつあります。

地続きだから缶も転がっていけるもので、削れた痕跡や付着した泥は確実に残っていく。
その事実を一つずつ見つめながら、内容は変わることなく在り続けること。
物語が後半に進むにつれ照らし出されるであろう、そんな彼らの硬質な佇まいを見ていきたい。

舞台編、四日目の稽古。
明日と明後日、そして明明後日もあります。

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演出助手・杉本奈月

舞台編0413

明日の準備が終わろうとしています。
みなさんはもう眠りにつかれているのでしょうか。

舞台編『ヒーロー2』五日目。私はお休みです。
今日の稽古場ではいったい何が起こっていたのでしょうか。
「想像のつかないことが起こるのが稽古場だ」
いつも久野さんが嬉しそうに言っていたのを思い出しています。

きっと今日のことは、想像しても想像がつかないのでしょう。
だから明日のことを想像してみることにします。

明日は船場サザンシアターにて。
まず久野さんを初めとし、ついで太田さんと諸江さんが続きます。
いつからか中村さんと私が稽古についています。
やがて客席編の片桐さん、七井さんが劇場へ。
葛西さんが灯りをともし、ステファニーさんが被写体へ華をそえ、最後に北村さんが待ちに待った一瞬を切り取ります。

舞台編『ヒーロー2』六日目は、稽古と撮影が行われます。
そして、初めて十人が集います。

それでも、明日も想像のつかないことが稽古場で起こるのでしょう。
みなさんはもう眠りにつかれているのでしょうか。
準備を終えた私は眠ることにします。

演出助手・杉本奈月

舞台編0414

4月14日。本日は『ヒーロー2』の稽古とチラシ用の写真撮影の日 そして、記念すべき、缶の階の全メンバーが初めて揃った日となりました。

東京から、和歌山から、皆がサザンシアターに集合してくれました。 今回の缶の階は2人芝居の2本立てなので、稽古も別々。 実はそれぞれのキャストが顔を合わせるのもレアだったりするのです。

どんな集まりになったのかと言いますと、 はじめましてがいくつもいくつもあったのですが、結論から先に言うと違和感無し! さすが階のもとに集まったメンバー。個性的なメンバーが多いのですが、当たり前のよ うにみんなそこにいました。

8ヶ月後には、劇場でメンバーそろってお客様をお待ちしております。 はじめましての方も、ご無沙汰の方も、その場を共有してもらう事に違和感のない公演 になりますよう。

明日15日の稽古で、しばらく稽古はお休み。 次は7月です。楽しみな3カ月になりそうです
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(船場サザンシアターにて)

演出助手・中村一規

舞台編0415

舞台編『ヒーロー2』四月は最後です。
階員は深夜の歓楽から離れ、私も都会の喧騒から離れ…登校。
講義終了を首を長くして待っているあいだ、演出助手の中村さんと舞台美術のステファニーさんが稽古についてくださっていました。
中村さんがいる稽古場では何やら議論が展開されていたり、物語の顛末に涙ぐんでいたりしていたようですが…。

稽古日数は、しめて八日目。一週巡って、また新しい週をむかえます。
これからのことに思い馳せながら帰ると、これまでの稽古場になかったものを目の当たりにしたのでした。

碁盤に電気ポッド、椅子、そして掃除機(パワフル吸引)。
ステファニーさんの手により、劇場で置かれていた物たちを模して、稽古場に初めて物が置かれていました。
自慢の長い首で舞台と客席のあいだを渡していた掃除機は、境界線の向こうで暖房のきいた床に寝そべっています。

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太田さんも寝そべっています。
さりげに巻かれた首のマフラーがSF漫画に出てくるヒーローを彷彿とさせます。
一方で巡り巡る議論の末、俳優という衣装を脱ぎ捨てるべく、缶を置いた諸江さんが手にしたのは…。

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掃除機でした。
缶の階、本日付で掃除機の階へ。

ということにはきっとなりませんが、掃除機は諸江さんの手となり声となり、観衆を笑いの渦へと巻き込んでいったのでした。
はたして手放した缶は彼の手に戻ってくるのか。それとも…。

五月と六月はお休みです。
続きは七月に。

演出助手・杉本奈月

客席編0712

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諸江お兄さんは利賀村へ。私たちは船場サザンシアターへ。
客席編『椅子に座る女/椅子を並べる男』二回目の稽古です。

今日は、本物の客席を使って稽古をしてから、舞台へ客席を組みました。
お馴染みになりつつある、リクライニング可能な例の青い椅子です。要チェック。
http://www1a.biglobe.ne.jp/sembasazan/index.html

客席から「見えやすい」椅子の置き方にはならないようにとの久野さんの言葉に二人で試行錯誤を重ね。遠近法がどうのと言いながら放射状に二列に並べたりしますが…最前列には、客席に座っている登場人物が全く見えない席が必ずできてしまいます。頭が高い…リクライニングしてやろうか。なんて思わずリクライニングしてみましたが、客席として不自然なので却下。現段階では、後部座席が最も観やすいお席となっております。まだまだ試行錯誤の余地は残っているようです。

客席編では客席を舞台とするため、基本的に登場人物は客席に背を向けて客席に座っています。なので女優さんの顔がしばらく見られないこともありえるわけで…それってどうなんだ! と先日も稽古にて議論がありました。椅子に座る女・片桐さんに全身で振り向いてほしい。しかし、椅子を並べる男・七井さんの鷹のような猛攻により解決。押してだめなら押せばいい。押せば押されたものは自然と逃げていきます。自然であれば。今日ここに、男が椅子に座る女を指定席から立ち上がらせるという新たな会話が生まれたのでした。

時に宇宙人とも評される、お二人のさらなる展開に期待です。

演出助手・杉本奈月
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客席編0714

今日も引き続き船場サザンシアターさんにて稽古をしました。
今日は台本を冒頭から通すことを2回ほどしてから、冒頭部分の返し稽古をしました。

缶の階の稽古は「時間をかけてじっくり作品を創っていこう」
の言葉通りに、片桐さんと私がセリフをしゃべっている(稽古をしている)のを、久野さんと中村さん、杉本さんが見て、「今の稽古では何が起きていたか」を検証する作業(討論、おしゃべり?)に入ります。

一般的に想像されるような、演出家が逐一ダメ出しをしてゆく、というスタイルとはちょっと違います。各々出自が異なる人間が共同作業をしてゆく時には、「あなたは何を考えてこれをしたのか?」「あなたの言っているこれは何なのか?」というすり合わせをしてゆくのは、とても必要なことだと思います

なので、みなさんの会話を聞いているだけで、久野さんの台本への理解が進んだり、演技のアプローチの仕方が想像出来たりするのが面白いです。

私自身は、自分がどういう状態でセリフを言うのか? ということにとっかかっての試行錯誤の最中です。
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、押したり引いたりしてます。

という五里霧中の稽古場です。
是非観に来てください。
キャプチャ

七井 悠

客席編0717

今日も稽古をしました。 稽古場では何が行われていたのだろう。

とにかく毎回、久野さんと演出助手の中村くんのやりとりがおもしろくて感心してしま う。 中村くんは久野さんが言った言葉を別の言葉に言いかえたり、反論?したりするのです が、それを聞いていると言葉のやりとりの豊潤さをたっぷり味わえる感じがします。

そんな演出部の感じが反映されて、作品もそんな作品になっていく気がする。

書きながら思いましたが、久野さんと中村くんの会話のテンポ、そのまま、舞台上で やったら良いような。

やりとりのジャグリング、ああ、スリリングで絶対おもしろいだろう。

この稽古場のおもしろさは私の文章を読むよりも見た方がはやいです。

今日は出てきませんでしたが、中村くんと同じく演出助手の杉本さん、共演者の七井さ んの存在も要注目の磁場を形成しております。

稽古場、良かったら見に来てください。

(気にはなるけど稽古場なんて行きにくいわ、という方は、8月にワークショップもある のでそちらもよろしければ)

片桐慎和子

舞台編0721

3ヶ月ぶりの舞台編稽古。
台本が改訂され、タイトルも変更されました。

『ヒーローに見えない男/缶コーヒーを持つ男』

スラッシュは半角ではなく全角です。
みなさま、どうぞお見知りおきを。

いつものように太田さんと諸江さんがいて。
いつものように私はプロンプを入れていました。

台詞は作家が書いた言葉です。
赤の他人から生みだされた言葉です。
作家が言葉を生みだすときは痛みや苦しみをともなうことがあるようです。

赤の他人から生み出された言葉を自分の身体へ入れる。
俳優が台詞を入れる行為はとてつもなく痛みをともなうことなのかもしれません。
でも入れてもらわないとお話になりません。

誰かが人でありつづけるために俳優は必要です。

杉本奈月

舞台編0722: 太田宏(出演)

舞台篇稽古終了。

3日間、久野台本にどっぷり浸かった。

ブログ書くよ~と言いながら、書いては消しを繰り返している。そのくらい色々考えまくっている稽古場だ。

今日は、稽古場を多くの人が訪れてくれた。稽古場を出て、桃山台の駅に着くと、ふと立ち飲み屋が目に入り、共演の諸江くんと稽古を観にきてくれた片桐慎和子を誘ってちょい飲み。

高くはないけど、安くもない、心地よい立ち飲みでした。


飲むことで、コミュニケーションが取れているように思ってしまう幻想を抱きつつ、帰宅。

明日は東京に戻って、そのまま、劇団の仕事。

初めての俳優と共演する時、とても緊張し、とても興奮する。
他者がいることで、自分がはっきりしてくるのです。良くも悪くもであり、大抵は悪いところが現れてきます。

そうなってしまわないように抑制し、必死に掘り下げます。果たして自分はどんな役者なのか?いや、果たして、自分は役者なのだろうか?

うーむ

俳優人生はまだまだ五里霧中である。

作品は、稽古を経て強度を増し、面白くなっている。間違いなく。

観にきてください。

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舞台編0723

休憩中。
久野さん、太田さん、諸江さんと会話について。

基底状態にあるものを励起させるにはエネルギーが必要であること。
そのエネルギーを自分から作り出すのか相手より受け取るのか。
自分で作り出せば台詞は一定の調子で投げられ、相手より受け取れば相手の言葉を「受けた」調子で投げられるらしいこと。

一つ一つの台詞を立ち上げるまで。
会話となるには、一瞬間にいづれの過程をたどるのか。

言葉は力だと久野さんはいいました。

言葉には質量があり、方向性をもって投げてやると速度が生まれる。
何かに衝突すればおわりなのではなく、そこからはじまっていく。

言葉をどう投げるのかではなく、投げられた言葉を自分がどう「受けた」のか相手がどう「受けた」のかを。
その場で起こっていることに、もっと身をゆだねてみてもいいのかもしれません。

舞台編『ヒーローに見えない男/缶コーヒーを持つ男』
8月も稽古をすることになりました。

杉本奈月

客席編 & doors 0724: ステファニー(舞台美術)




はじめまして。
美術担当のステファニーと申します。
24日のお稽古に参加してきました~
先ずはdoorsワークショップのシミュレーション。
皆さんのアイデアで構成された内容を通しながら、確認していきます。
私は殆どお稽古に参加出来ていないので、先ずは参加者の視点で通しを体験。
いやぁ、これは、かなり不思議で楽しい。
「何かを教わる」っていうよりも、
「缶の階」を満喫?堪能?出来ます!


続いて
客席編の稽古。
七井さんと片桐さんの作り出す空気が、とても心地よくて、通すつもりではなかったのに、
見入ってしまい、気付けば、最後まで通ってしまいました。

まだ、7月。ここから更に面白くなっていくのかと思うとワクワクします。

※doors WS詳細とお申し込みはこちら→ (http://www.iwf.jp/8sche/category_944/item_1171.html)
8/11 90分間 500円の演劇稽古場体験です

舞台編0815 太田宏

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この日の稽古は2部

1部は通常稽古11時から16時

そのあとの2部は私主催のワークショップを
19時半頃まで。

今回は、私が、まず初めに何を思い、そして何を面白いと思っているのかを知ってもらいたいという思いで始まり、そして、階のみんなが(今回は役者)、どう考えて何を面白いと思い、どうしようとしているのかを知るということが、主たる目的で始まりました。

実際やってみたら、かなり活気のある面白いワークショップとなりました。

参加者は役者が諸江さん、七井さん、演出助手中村さん、杉本さん
と私、の計5名。

2種類の2人芝居のテキストを使いセリフをしゃべることに特化したワークを。

まあ、ワークというか、自分が一人でも多くの役者とある意味「無責任」にセリフを交わしたいという欲求から考えたものです。


役者って、言葉を扱う職業でありながら、その呪縛に絡み取られてしまいがちだな〜と思うんです。
それを解消していく方法は恐らくたくさんあって、でもどんなものでもそれを有効に機能させるのは自己の状態の認識が強く必要だと思うんです。自分が才能溢れた俳優ではない分、一歩一歩進んで行くことが必要なんだな〜と最近、まあ、ちょっと前、いや、そこそこ前から思っています。

酒飲んで、勢いよくしゃべって、終わり!ではなく、稽古場で建設的に発見し説明することで、自分の中に蓄積して行く。



素敵な俳優教育が身の回りに、うーん、結構広い範囲でないと思ってるんですが、そんな私の自分教育です。

下北沢でとあるお芝居の開演を待ちながら、そんなことを思い、書いております。

あ、後ろの席の人が平田オリザについて話し始めた!

舞台編0816 太田宏

2日間の稽古終了。

また、一歩進む。

稽古が始まって早5ヶ月。
「じっくり作品を作る」というスタンスはやはり心地よい。
信じているものを作り上げ、でも壊れて、でもまた、作り上げる。
そして、その、揺れの振幅を本番に向けて調整し、小さくしていく。

誰も「間に合わない」と感じていない状況はとても重要な創作環境だと思う。

自分の「無意識」も掘り起こされ、意識し、対処してゆく。

やっぱり時間かかるんですよね、作品作るのって。

この、「かけた時間」も観にきて欲しい。
いや、多分、でも、きっと感じて貰えると思う。

こんな作品作りをさせて貰えることに感謝し、そして、誇りに思う。

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舞台編0901 中村一規(演出助手)

秋ですね
季節と足並み揃えるように、稽古場も(文字どおり)劇的な変化が起こっています。

今日は舞台編のお稽古。
太田さんは東京に住んでいるので、お稽古は数日大阪に来てもらって、ぎゅぎゅっと集中して行います

3日稽古の最終日。この3日間で20時間くらい稽古してるのかな。
見る方もやる方もへろへろです。

でも、その中からしか出てこないものがある。
稽古漬けになって、力がぬけて、悩んで…
結果…
作品がとにかく良くなっていますよ!

もちろん、それぞれには思いがのあるだとおもいます。
「もっとかっこよくしたい」「もっとおもしろくしたい」
「作品が求めてるもの応えてない気がする」「このセリフの意味が腑に落ちない」

実は、そんなことは私にはよくわかりません。私にみえるのは作品がよくなっているという事だけです。

私は演出助手なのですが、実は演出助手というのが何をするのかよくわかってません。
演出助手は舞台に出ません。演出でもないので、最終的なイメージみたいなものを考えているわけでもない。
じゃあ、稽古場で何をしてるのか? 
わたしは今、お客さんを演じています。

どう思ってやったのか、を一旦無視して、どう見えたかを伝え続けるのが演出助手ではないかと最近思ってます。
お客さんの代表として、12月にお客さんが素敵な作品と出会えるように
ちょっと先から見せてもらってる。
それはすごく恵まれたことです。
先に見る権利があるので、その分、他の、早くから見られないお客さんに対して義務がある。
作品が良くなるためにお手伝いをしなくちゃいけないという義務が。

そして、他のお客さんと一緒に12月に、すてきな作品を見る。
それは、お客としての権利です。
いまから、楽しみです。

確実に、作品が動き始めています。
いま、ここでぴちぴちと生きている物が面白くないはずがない。
犬でも、子供でも、芝居でも。

12月に劇場でお会いしましょう。
きっと、ぴちぴちしたものが見れるはず。
たくさんの人と、共有できると嬉しいです。

あ、前売りチケット発売始まりました
詳しくは缶の階サイトまで。

舞台編0913 太田宏

9月の3日間がおわったね。

5回くらい通したかな〜。

この感じをどう書いておいたらいいか。



自分の感覚も、上手く書き残せない。

相手役の人間度がでればでるほど、
こっちの人間度も出していかなければ
ならない。さて、どう反応するか?

ここでの、反応というのは、例の
使い古された肉体的、精神的反射と
いうものではない。
近い言葉としたら、なんだろう、
発信とかかな〜。

もちろん、自分が、特別なことを
やっているというということでは
ない。

ただ普通にいるにはどうすれば
いいか?

を模索している。

人前でしゃべることを普通に
やれるようになるために、様々の
ことを分析分解し、試している。

実験方法はまだまだあるんだろうなあ。

そしてこんな風に舞台が作られていけば、
そのうち、いっぱいの人が舞台を観に劇場に
足を運んで来てくれるようになるんじゃない
かなあ。

だって、まず、そんな芝居、俺が
観たいもん(笑)

そんな希望を、責任を感じつつ頑張る。

そんなこんなで、成田空港着。

バス乗って帰ろ〜

違う、まだ帰れなかった・・・。

サザンシアター

舞台編0912 ステファニー(舞台美術)

美術担当のステファニーです。

あっという間に秋ですね~

少し涼しくなったおかげで、桃山台の駅から稽古場までの道のりが楽になりました。

私は和歌山在住なので、桃山台まで2時間半かかります。
ちょっとした旅行です。

東京から来られる太田さんは

ガチ旅行です。

京都から来られる諸江さんはどのくらいかかるんだろう?

というわけで、各地から久野さんの元に集まり、「舞台編」の稽古が行われました。

約10日ぶりに通しを見ましたが、
諸江さんは前回サザン稽古で発見したキャラクターに磨きがかかってるし、
太田さんはより一層愛らしくなっていました!


2人の相性がどんどん良くなっていく経過を見られるのが、スタッフの醍醐味です。

そして、演出の久野さんが、通し後に羽根をパタパタとはためかせる姿をみられるのも、缶の階員の特権です。
この姿がみられる時は稽古や通しがうまく行く時です。

でも!お客様に見ていただくまで、試行錯誤は続きます。

いや、役者さんより、美術の試行錯誤の方がまだまだあるかな…


そして、今日は缶の階一、多忙なスタッフこと、葛西さんが稽古場にやってきました。

実は私が早く帰ってしまったのですが、葛西さんから、とっても素敵なプランが提案されたらしいです。

流石!

客席編0912七井悠

本日は舞台編3日間連続稽古の初日なのですが。稽古終了後にそのまま稽古場でわたくし七井の自主練をしていただきました。
現在の課題は「セリフを覚えること」

もともとセリフを覚えるのが遅い、という自覚はあったのですが、今回は特にセリフが頭に入るのが遅い。
こういうことにはもちろん個人差はあるものですが、稽古が始まる前に丸暗記してしまう、ということがどうしてもできない。稽古場で相手と喋っていかないと、どうやらわたしはセリフを覚えられないようなのです。

中村さん、太田さんに相手役である片桐さんのセリフを読んでもらっての稽古。

今回の稽古でセリフを「音」ではなく「意味」の繋がりとして、自分は認識しているのだと発見。しかし「意味」は元々あるものではなく、言葉を発する者の変化によって出てくるものだから、その変化(稽古での試行錯誤)を経てゆかないと、自分の体に言葉が定着しない。

わたしの言葉で書くと、現在こんな状況になっている(と思っている)ようです。

「音」(言葉)と「意味」は、いつも同じ一致をするものではするものではありません。一つの言葉には多くの意味を汲み取ることができます。

今回の稽古でも、今までとは違う言葉の意味が出てきました。

だからといって「意味」をとっ散らかしておいて、その時その時の反応で変化させる、ということもまたこれ難しいことだと思います。それを、再現するにはどうしても言葉を覚えきってしまわないといけません。

いや、しかし言葉を「音」として覚えきってしまったほうが、自分が意図しようとしていない「意味」が出てくるのではないか?などとも思ってしまうのです。

自分の意識の外側、を見るというか。。。

今回のわたしの目標は、間違わずにセリフを覚える。台本どおりの言葉、を話す人物を演じる というところにあるようです。

1004片桐慎和子

10月4日(土)客席編稽古。しばらく期間が空いての稽古再開だった、そして前回までの台詞とは変更している箇所が少なからずあるので、どんなことになるのか、未知の気分で稽古場に向かった。

作の久野さん、演出助手の中村君、俳優の七井さんと私。この日の稽古はなんとなくぐちゃぐちゃした空気で終わった。

稽古場での自分の在り方は、良かったんだろうかと終わってから思った。

もしかしたら全員そう思っていたかもしれない。

なんだか深刻なように見えますが、それほどでもありません。

ビバ!ぐちゃぐちゃ!

粘土のこね始め。

1009七井悠

今日の稽古はセリフ覚えでした。

自分が以前稽古場日記を書いたときに「間違わずにセリフを覚える」というようなことを書いていましたが、文字通りそれを実践する場でした。
台本をいくつかの部分に区切って、片桐さんとセリフ合わせをし、間違った時には久野さんと杉本さんから指摘が入るというやり方です。
久野さんの台本は、まず言葉なのだと稽古をして思い至りました。
少しずつ違う言葉の言い回しが重なって台本の世界を構築しているようなかんじです。
目の前にあるものだけではなく、あったかもしれないしなかったかもしれないものについて、語る言葉がたくさんあるので、それをそのまま話せば良いのだということです。
自分の解釈を含まず。

私は助詞(てにをは)の扱いがあやふやなようです。単語同士の関係を作る言葉が曖昧ということは、文章なども普段からボンヤリと理解しているのだなあと。面白い。
言葉に対しての考えを改めさせられた稽古でした。

1012片桐慎和子

台詞合わせを何度も何度も。

一文字一文字確認しながら何度も繰り返す様はまるで音楽の演奏の稽古です。
しかし台詞は音符ではなく文字であり、しかも人と話をしている。

一筋縄ではいかないですが、これがおもしろいところでもあります。

1012中村一規

台風が近づくなか、客席編のお稽古。
稽古場にも風が吹いてますよ。

久野さんと一緒の稽古以外にも、最近、客席編の役者さんは二人で自主練習を計画しているらしくて(内緒!)
そのせいかどうかわかりませんが、とにかくここしばらくは見る度に毎回、演技ががらっと変わっています。

そりゃあ非常にスリリング。とにかく何かが今ここで創られているという感じが、ひしひしとするのです。

今日の二人は、お兄さんお姉さんのお芝居でした。
動きはシンプルだけど、ジェントルで一つ一つのセリフをしっかりと言おうとする大人なお芝居。
なるほど。今は役者さんは、言葉を大事に扱って、セリフのしっぽにまで血を通わせようと試行錯誤しているのだな。ということが伝わります。

そして、次までにどう変わっているかわからないのが、この役者2人の素敵なところ。
決して、こちらが予想しているようには変化していきません。
毎回、稽古の最初には驚きと発見をくれる2人です。
稽古場以外でも役者として生きているから。

この企画のお稽古が始まったのは、去年の事です。
まだまだ変わってます。
あとちょうど2か月、まだまだどうなるかわかりません。

そんなお稽古です。

1022七井悠

今日の稽古は片桐さんと私二人での自主練でした。
「間違わずにセリフを覚える」の目標へ向けてのセリフ合わせの稽古です。
ここ何日間か、セリフを覚えるための稽古 に集中していたため、概ね(ここが危険なところですが)台本が頭の中に入ってきました。
この日は、色々な状態でセリフをしゃべる、ということをやりました。極力棒読みにしたり、別に体を動かしたりと・・。
言葉が体に落ちてくることで、考えてセリフを言う状態から、セリフを言いながら考えている状態になってきた、、、気がします。
あまり言葉にするとそれもまた自分の実感から離れてゆくような気もするのですが。。
とにかく、言葉との戦いだなあ と思っています。

1026杉本奈月

舞台編のお稽古です。

缶の階の稽古場では、尺を長くとった抜き稽古や通し稽古を繰り返し行います。
流れを一度切れば、今ここで起こったことの上に成り立つはずだった展開が一つ、消える。つまり、最初からなかったことになってしまうということ。私たちは、物語における数々の展開を一つずつ検証していき、この場で何が正しいのかを見定めています。

稽古方法は膨大な時間と労力を要しますが、わかりきった結果、あるいは「わかったつもりになっている結果」へ向かって行くのは、とてもつまらない。どこに行き着くのか、どう落ち着くのかわからないけれど、わからないままに、物語の終わりへ向かって行くのはとてもスリルがあります。
そんな稽古場で起こり続けることを、私はいち観客として目撃しています。

正しく台詞を言うために、舞台編と客席編ともに特訓をしてきた成果が出始めています。缶の階では今、台詞の言い方がホットな話題となっています。一つの台詞を一息で言い切ってしまおうとすれば、台詞を言うこと自体が目的になってしまう。そうならないためには、一つの台詞の中にも物語を存在させることが大切です。質量、大きさ、方向、速度、重力、距離など…自分の中で、または相手との中で、言葉を制御できる要素はたくさんあります。
口をついて出た言葉であっても、必ず理由は後からついてくるものです。「台詞を言い始めてしまって」から、言葉が獲得しうるあらゆる要素を制御しつつ口にしていく。わからないことをわかるために彼らは話をする。
台詞を存在させることは、手に余る世界を制限することではあっても、その世界の人や物を制約することではないと私は考えています。

まだまだ、可能性を検証する余地はありそうです。

合同稽古1025太田宏

缶の階、初の心斎橋ウイングフィールドでの稽古。

船場サザンシアターと全く違う感覚に陥り、ぷちパニック!
まあ、落ち着いて考えればちゃんと予想できた範疇の問題なんですけどね(笑)

空間が演技を規定する
ってことだけなんですけどね。

カムヰヤッセンのウイングフィールド公演であれほどピッタリ来た感触がさっぱりなくてビックリしました。

ありがたいことに船場サザンシアターでさせてもらってる稽古が、船場サザンシアター向けの作品になっていることに気づくことができました。
あすの稽古では、空間に振り回されない、空間に即した芝居つくりを進めていきます。

空間によってブレてしまうことのないものとは何か?これは、重要ですね。試験で言うと絶対出るから、何本下線を引いてもいい位のことです。

答えは特にないですが。
感覚的にぶれないもの、を明日の稽古で探してみます。

客席編の稽古をみて、稽古後は制作で入階してくれた浅田さんの歓迎会をサイゼリアにて。
芝居に、より一層集中させていただきます。
皆様、よろしくお願いします。

客席編の稽古も、手前味噌ですが面白かった〜
舞台編で時間をかけて積み重ねている小さなピースを簡単に乗り越えてしまっている感覚に陥りました。彼女達なりの時間の積み重ねを感じました。
俺たちなりの作品作りに没入しなければ、拮抗できないぞと。

地面は固まりました。
次は耕します。
種さえ蒔ければ本番で収穫できるはず。

演劇がもっともっと豊かになりますよう、踏ん張り、闘います。

追伸
無駄な闘いは本当にしたくなくなりまして。
場合によってはちゃんと逃げることも必要だと、そして行く行くそれが勝利につながるものだと思ってますの、今の私。

よろしくお願いします。
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缶の階がいく1102 太田宏

太田宏です。

書きたいことがいろいろあって、書いちゃあ消し書いちゃあ消しを繰り返してます。
難しいこと書くつもりはないんですが、丁寧に書こうとするとついつい小難しい文章になってしまうのです。
いやー反省反省。

と言うわけで、シンプルに書きます!

緊張してきた!
あと1ヶ月ちょい位で本番ですので!

最後に参加してくれることになった制作担当浅田さんと共に全員でいきますぜ!

とはいえ、劇団ではないので、そして何より台本を面白いと思って参加している集まりなので、みんなでやろう!では乗り切れません。本番が近づいてくればくるほど、ナーバスになったりしてくる中で、階は自分の役割をしっかり果たさなくてはならなくなります。
でなければ、何のためにいるかわからなくなりますからね。

役者はわかりやすくて助かります。
突撃隊みたいなものですから、前だけ向いて突進します(笑)

10何年振りに一緒に作品を作った久野さんは、相変わらず、刺激的です。
前回10何年前に、大阪で一緒にさくひん作って、東京行って職業「演出家」な人達とお芝居作って、で久しぶりに帰ってきて、一緒にさくひん作ってみて、自分は色々変わってるのに、久野さんの変わらぬそのエネルギーに触発されます。

久野さんの「さくひん」を作ろうとする情熱は、演出家と言う範疇を超えているかもしれません。そういう点では久野さんが演出家を表記しないのはあってる気がします(笑)

表記しないからと言って、演出家不在なのかといえばそんなことなく、役者と違うスタンスできっちりさくひん作りを引っ張り、前のめりに参加してます。

缶の階は、この久野さんのスタンスに代表されるように、さくひんをつくるということを第一の目的としている(と私は思ってるのですが違ってたら教えてください(笑))のです。

それぞれが自分のできることをやり、その上で創作活動をしている、なかなか良い現場だと思います。

それは美術、照明に限らず、例えば演出助手と言う立場も全く同じです。名前こそ、唯一「助手」なんて付いてますが、専門的にやっている人たちと比べて2人がやっていることは「創作」です。多岐に渡る作業を熟しながら、その上でさくひん作りにちゃんと口を出す。私は俳優としてそれを信頼し必要とします。

こうして書いてると稽古場に「演出家がたくさんいて混乱している」ようにも取れるのですが、そうはなってないですねー(笑)
俳優がやりたいことがはっきりしてますので。

諸江さんと2人で稽古通じて、「それ」はよりはっきりりとしてきています。

そんなこんなは、先ずは稽古をみるときっと感じてもらえるとおもいます。

そして、これからは、「それ」が作品に現れるようろ過、抽出していきます。

こうやって書くと、この作品は、創作過程も作品なんだなあと思います。
観客の皆様も、稽古を観られると面白いだろうな〜。

電池がなくなって来たので、この位にしときます。
色々断定的に書いたので、不快に思われた方おられたら、申し訳ありません。

ただただ、面白いと言ってもらえる作品を作りたいだけなんです。

そして、面白くなる予感ありです。

観にきてください〜

客席編1102中村一規

お稽古が進んでます。
前にと言うよりは、深く。

稽古はどんな時でも、世界について新しい発見があります。
今日稽古を見ながらぼんやり考えていたことは、
言葉を共有することは勘違いだけど、空間を共有することは勘違いではない気がするな。ということ。
そして、自分の顔を見ながら自分の話を聞いていたら、自分が本当は何を喋っているのかよくわかるのか。
それともやっぱり相手の顔を見ながら喋っていた方がわかるのか。ということです。
いろんなことを考えられる稽古場は、やっぱりいいものです。

世の中にはたくさんのお芝居があって、お芝居の数だけ稽古場があります。
本番のないお稽古、とういうものは(不幸にして)起こりうるけれど、お稽古のない本番はありません。

私はお稽古場にこそ、お芝居のすべてがあると思っている気がします。

たぶん劇場にこそ演劇の本質があると思っていたら、スタッフに。
客席にこそ。と思っていたら観客になっていたでしょう。

あと1か月ちょっと、稽古は進みます。
本番が終わっても、その作品のことを思い出している限り、その時間、そこは稽古場です。

長く長く先まで稽古場に変えてしまうような、射程のながい作品になる予感がします。

すっかり秋めいてきましたね。缶の階の稽古場からでした。

1101杉本奈月

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ウイングフィールドを想定した実寸稽古、客席編。一昨日の課題をはるばる桃山台まで持ち帰りました。
木曜日は片桐さんと七井さん、中村さん、杉本で船場サザンシアターへ。

物語後半より、舞台より目を離してしまう隙が生まれるようになりました。
口々に出た「言葉の意味がわからない」という言葉。
本当は言葉以前の問題で、彼らがどんな環境に置かれていたのか、その過程がわからなかったのかもしれません。残酷なことに言葉は結果でしかありません。自分がどう伝えたかではなく、相手にどう伝わったか。ただそれだけです。
でも、相手から伝わらなかったことを自分が想像して創造してしまうことはあってほしくない。物語の中でも、物語の外でも。誰と何の話をしているのかがわからなくなってしまうからです。これでは話をする意味がない。
どうしても人間は言葉でしか情報の授受ができないから、今ここに生まれてしまった言葉には死んでも縋ってほしい。飲まれるのはいつだって誰でもない何かで何でもない誰か。そう「ならない」のであれば、その言葉たちは生まれながらにして死んでいるのと同じです。

この期に及んで、誰の言葉が誰のものかなんて関係ありません。

客席編1106七井悠

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本日はサザンシアターにて稽古の日でした。

客席編の稽古の前にホームページ上で公開する予告編の録音作業を行いました。
客席編の台本を編集し、ラジオドラマ風に仕上げるようです。(録音をしての私の予想です。違っていたらすみません。)

客席編本編の稽古は「セリフを正確に言う」事と「セリフを体で受ける」事の稽古を繰り返してきて、今度は「台本に書いていない部分」をどう作るのか、へ移行してきました。

何をしたのかというと、客席の椅子を動かしてみました。

舞台上に物があると、その物にまつわる背景というか、バックグラウンドが見えてくるのだなと思います。客席編のセリフたちが、よりその観を増しているようです。
こうやってブログに言葉で書くと、言葉の力は強いものですから、ブログを読まれた方だけでなく、演じているこちら側も、言葉のイメージに引っ張られてしまいます。というのも、やはり言葉で書きつけるということは過去形の作業ですので。
稽古は、毎回できてしまったイメージを壊して作って・・・の繰り返しなのでしょう。
本番まであと1か月と迫ってきました。客席編の進むべき方向もおぼろげながら見えて来ています。その方向をどう進んでゆくのか。

明日も稽古です。

客席編1108杉本奈月

一日空けて、客席編のお稽古です。
桃山台の床暖房がだんだんと心地よくなってきました。

今日は何だか、具体的な言葉が飛び交う稽古場風景でした。ついに久野さんが台本の読解に着手したのです。スタッフ陣も、世界を限定していく作業を水面下で進めています。
具体的な言葉は、その言葉の意味や内容を限定していくように「口にする」ので、やはり窮屈に感じるところはあります。ですが、本当に限定されているのは口にした方であって、決して口にされた方ではないはずです。だから、私たちがそこで立ち尽くすことはありません。確かに床暖房は暖かい、けれども。
見ている風景が違う人たちが、同じ床の上に同じように足を着けることはかなわない。そして、見ている風景が違う彼らが、同じ床の上に同じように足を着けられるわけがない。言葉はあくまで土台。そこからどこへ足を伸ばすのか、或いは飛び上がるのか、果ては掘り下がるのか…してはいけないこと以外なら何をしたっていい。数え切れないほどの「してもいい可能性」を試し試される、そういう稽古場です。

そういう稽古場で。
今日は珍しく片桐さんが苦しんでおられました。具体的な久野さんの言葉に「私はここで考えるんです」と頭の上に手をかざして。なるほど、答えは外にあるのか…そして、数え切れないほどに。片桐さんが違う可能性を提示するたびに、七井さんの演技も見違えるように違ってくる。二人芝居ではなく三人以上の芝居だったら…と想像するとぞくぞくしますね。
ですが、客席編『椅子に座る女/椅子を並べる男』二人芝居でありながら登場人物は二人ではありません。悪しからず、お楽しみに。

明日も客席編のお稽古です。
そのうち雲やつちのこを掴むのだろうな…と、彼らのいる稽古場に思い馳せながら。
いち演出助手が見た風景でした。

客席編1109中村一規

まもなく本番まであと一月。
稽古場に本番用の小道具が増えてきました。

劇場の話なので、お芝居に関係する小道具で多いです。お芝居のチラシも大切な小道具。杉本さんが小道具用にデザインしたチラシが並びます。

お芝居の中で使われるチラシには、出演者の名前が書かれていません。
代わりに書いてあるのは、登場人物の名前(なんせ登場人物さんが作ったチラシなので)

そんなチラシ、ありえるのかな? もしあったら自分は行くかな?
とぼんやり稽古を見てました。

二本の芝居はどちらも登場人物さんが出てきます。
お芝居を作る人と、観客では、同じ芝居でも違うものが見えてる様に、
登場人物さんには、登場人物さんの都合があって、我々とは違う形でお芝居が見えているようです。

人には人の都合があって、人には人の道理があるということなのですね。

客席編1113片桐慎和子

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台本が改定されました。
稽古場には久野さん、中村君、七井さん、私。
当たり前ですが皆、それぞれ本当に考えていることが違うものだとよく思います。
久野さんと中村君の台本解釈の話には到底ついてゆけず、七井さんは沈思黙考しており、私はとんちんかんに過ごしています。
それでも皆それなりにそれぞれを尊重しあって稽古場は成り立っております。


久野さんの台本では、セリフは変わらないけれど、セリフを言う人が変わる、という変更がよくあります。
ふと私は思います。

これが現実世界でもそうだったら?

この世界で交わされる言葉は、元々全てどこかにあって、それを誰が口にするかはわりとどうでもいいものだとしたら?
ちょっと世界に穴が空いたような開放的な気分になります。

舞台編1116太田宏

舞台編稽古が2日終わり、明日最終日は再び劇場稽古です。

船場サザンシアターで産まれたものを、心斎橋ウイングフィールドで育て、桃山台で練り直す。
そんな作業です。

昨日今日で、いよいよラストの方向が決まりました。
8ヶ月程かけて作り上げてきた稽古場でやっとラストが産み落とされました。かけて来た時間だけ、それぞれのこだわりを確認しつつ、少しづつ前に、そして、産みのの苦しみでしたが、その瞬間は、その場にいた4人が(中村、諸江、太田、久野)、ふっと力の抜けた瞬間だったように感じます。

「よし、これで行ってみよう」

こんな作り方は、合理的効率的ではないかもしれません。
全ての演劇に適用できると思ってるわけではありません。
ただ、今回は、これがベストな手法であるようです。
そして、今、私にとって、とても心地よい稽古場になっています。

明日は、両劇場で再度、試しに行きます。

舞台編1117太田宏

3日間の舞台編稽古が終わりました。

心斎橋ウイングフィールド、船場サザンシアター両劇場でラストを含めて試して来ました。

劇場で試してみることによって、稽古場で見えなかったものが見えてきます。

前回の劇場稽古を踏まえて、今回は演技を少しはっきり目に提示してみました。

少し、空間に馴染んだ感じになりました。

サザンシアターとウイングフィールドでは全く空間が違います。
共に小さな空間ですが、印象は全く違います。

その印象を受け止めて、どちらの劇場でも通用する演技に調整しています。

昨日、方向を決めたラストも試してみました。
シーンを空間に置いてみたところ、また、変化しました。

よくなりました。

途中のシーンも繰り返し稽古して、作り上げました。

今日は、演助2人に加えて、照明、美術、音響さんも稽古場に参加。
それぞれが思うことを口にしつつ、それを全員で検討して、試してみる。
時間はかかるけど、そのために稽古期間は長くとっています。

短い稽古期間で作ることができる演劇は、それだけのリスクも伴います。長い期間取ったからといって、リスクが減るわけでもありませんが。

リスクの質は違うのです。

ただ、短い稽古期間でのリスクは、時間をかけさえすれば解消できるものも幾つかはあるのです。
そして解消することによって、作品をより強度のあるものへと作っていけます。

この前、東京の俳優さんに、
「そんな長い期間稽古してて飽きないんですか」
と聞かれました。

そういえば、「飽きる」ことは想定してなかったことに気づきました。

作った作品をツアーやロングラン公演で長く上演していて飽きてしまうことは、1度か2度あった気がします。

が、稽古で飽きることは、なかったです。

そして、今回は、より一層ないです。

ない理由ははっきししています。
相手の影響を受けて、変化し 確認し 積み重ねていっているからです。
これ、言葉にすると「当たり前じゃん!」って思う人も多いと思うんですけど、これちゃんとするのって、ほんと難しいと思うんです。

まあ、ただの私の経験則なんですけどね。

だから(私が考えるものが)必要でない現場と俳優さんもいるので、これが全てとはいいません。

私が、今、それが楽しいんです。

ただそれだけなんですけど。

それに付き合ってくれる相手役と階員の皆さんに感謝です。

そういえば、今回、ウイングフィールドで昔からの知り合いに会いました。知り合いと言うのも恐れ多いくらい、私が演劇を始めた20歳くらいの頃から観ていただいてる方なんですが。

私の顔を見た途端、

「ちゃんとやってんのか?ちゃんとやってんのか?」

私が何か言おうとすると

「ん?ちゃんとやってんのか?ちゃんとやってんのか?」

計4回、畳み掛けるように質問を投げかけ、返事を待たず次の会話へと進まれていきました。

えー、
ちゃんとやってます。
安心して観に来てください(笑)

舞台編1115杉本奈月

舞台編のお稽古です。
ウイングフィールド仕様の実寸稽古、桃山台にて。

公演まで一ヶ月を切ったところで。
改訂されたラストシーンでは、太田さんの「台詞」を諸江さんが「言葉」にしていく過程が見られます。
ととのえられた外形に惑わされることなく、ヒーローの台詞の内実を物語っていく姿は、観ていてとても官能的なものでした。
もしかして、これが台詞をいえるようになった俳優の成れの果てなのか…。
客席にいる私たちに台詞を投げかける。それを繰り返し、繰り返し。長時間に及ぶ稽古でたまった疲労も、彼らの功績に手を貸していたのかもしれませんが。
演技をするにあたっては、疲弊した身体であればあるほどいいと私は妄信しています。内で何が起こっているのかは想像がつきませんが、自分の身をおいた場を、より素直に肌が受容する。そして、身体へ、場へと正しく応答する。やがて、放たれた信号が、おなじ場を共有するものへ伝えられ伝っていく。舞台と客席の境目なんてなかったように、自然と言葉がやりとりされている様はとても心地が好い。彼らは服を脱ぎ捨てている。
ただし、これは一定の時間をかけて築いた関係が、むかえるべくしてむかえた最後であって、最初から易々と目にできるものではありません。けれども、私たちがはじめて目にするべき最初は、きっとここから作り始めることができるような気がしています。
誰かに物語るための言葉は、いつどこからどのようにして生まれるのでしょうか。
私たちはこうしてお芝居をしているけれど、いつだって、代え難いおなじことのために台詞を書いては消し、口々に言葉にしたりしなかったりするのでしょうか。

それはそうと、諸江さんが着てこられたダウンジャケットがとてもお洒落でした。綿が詰まっていて暖かそうです。
もう皆さんすっかり冬のよそおいですね。

誰よりも必死に衣を脱ごうとしていた。
かの夏は遠く。

客席編1120杉本奈月

週明けに二劇場での合同稽古を終え、客席編のお稽古です。

プロセニアムの舞台に帰ってきました。
毛並みの良いパンチと、リクライニング式の椅子と。寒い日が続いていますが、ここに来るとなんだかほっこりしますね。
長堀橋駅より徒歩2分の劇場、船場サザンシアターです。
今日も今日とて、舞台と客席に椅子を並べる缶の階客席編です。

最初に客席だった場所は、今や誰かではなくなった誰かの物語の舞台となっています。
そこでは、どんな灯りが点り、どんな音が鳴り、観客はどこを向いて座っているのか…今日は、久野さん、中村さん、葛西さん、浅田さんが客席に座っていました。きっと、それぞれに違う風景を見ていたのでしょうか。そして、本番ではどのような風景を見せてくれるのでしょうか。

誰かの手によって突然空いてしまった場所には、何かしらの埋め合わせをしないと辻褄が合わないようで気持ちが悪い。でも、その気持ちの悪さは忘れずに覚えていたい。できることなら、覚えているほどに少しだけ感じていたい。そして、思い出したい。だから、降りるのは、少し待っていてほしい気もする。

…と、七井さんがダウンされました。大丈夫でしょうか。
最近、体調を崩される方が多いようです。
だんだんと寒くなってきましたが、皆さまもどうかお気をつけて。

合同稽古1117葛西健一

今日はウイングフィールドをお借りして客席編、舞台編の稽古。その後サザンシアターで舞台編の稽古、と劇場を使わせてもらっての稽古でした。
さすがに実際の会場でやるといろんな発見があります。
ウイングフィールドとサザンシアターの「劇場の違い」が僕の中でいろいろ発見できた有意義な稽古でした。

劇場の違いもそうですが、劇団のジャンルの違いについても僕の中で発見がありました。
今回の芝居、劇団員が登場人物として出てきます。彼の所属する劇団について、
どんな劇団なんだろ?といろいろ議論が交わされました。
で、彼が劇中の台詞としていう言葉を「新劇ふうに言ってみて」とか「アングラっぽく言って」とか
言うのですが、若い彼には新劇っぽいとかアングラっぽいというイメージがどうもよく分からないようです。

そうか、と僕は思いました。僕が小劇場演劇を始めた頃はまだ新劇のアンチテーゼとしての小劇場という流れがまだ残っていたし、それぞれジャンルが明確に分かれていたけど、今はだいぶその垣根が無くなって、
同時に演技方法のジャンルも、感覚として無くなってきたのかもしれない、と思ったのです。
新劇っぽい演技と言えば僕が20歳前後の頃の小劇場の劇団の中では、やたらカツゼツ良くはっきりと台詞を喋り、必ず客席に少し身体を開いて相手と向かい合う。みたいな分かりやすい硬い演技として揶揄される対象でした。だから客に堂々と背中を向けて同時にあちこちで役者が淡々と会話する芝居を衝撃的に感じたのです。
また同時に憧れの劇団も多数ありました。第3舞台の群読やダンスをカッコイイと思い、野田秀樹の台詞回しに憧れ、金子魁伺の立ち方を演劇部の皆で真似して喜んだりしていたのです。

 今はアーティステックなパフォーマンスや戯曲の解体など演劇のジャンルも多岐にわたり、
同時に劇団の垣根や演劇のジャンルというのもどんどん低くなっていってる感じです。
その中で20歳前後の俳優さんの中には「こうなりたい」と憧れる演技スタイルや、「これは自分とは合わない」という芝居がどんな感じで存在しているのだろうか。
演劇のジャンルという大きな括りではなく、個人的な嗜好に向かっていくのだろうか。と、また飲みに行く機会があったら聞いてみようと思ったのでした。

本番まで4週間を切って、毎回発見がある楽しい稽古場です。

客席編1122中村一規

問題は、誰がための稽古なのかということです。

お稽古ではいろいろな事が生まれます。
たくさんのアイデアや試作モデルが試され、そのほとんどが消えていきます。
最終的にお客さんの目に触れるのは、最後に選ばれた一つだけです。
「積み重ねたたくさんのアイデアがあってこそ、最後の表現が生まれている」というのも、もちろん真実なのですが。
「稽古場で何が起こったのか。ということはお客さんには全く関係ない」というのは疑いようのないことで。

稽古量というのは、(作品の完成度)に正比例するものでは、当然ありません。
稽古を重ねる。そのこと自体は作品の質とは無関係です。

稽古場でメンバーと時間を過ごします。
自信と喜びをもって、本番の幕が上がる瞬間を迎えるために。
もう数ミリでも、目の前のお芝居を、自分が見ている世界に、見たい世界に近づけるために。

どう考えても稽古はお客のためにやっているものではない。
世の中のすべての活動と同じく、やりたいからやっているわけです。

本番のために稽古をしているのですらない。稽古場にいるために本番の機会を作っているのかもしれません。
稽古場からしか見えない角度で世の中を見るために、我々は今日も稽古場にいます。
そんな時間がとても贅沢です。

本番まで数週間、まだまだ毎日作品が変わります。
お稽古はここからですよ。

客席編1123七井悠

本日は通し稽古をしました。ここ何回かは、台本が改定された部分を稽古していましたが、一通り稽古が済んだので、頭から通してみて無理がないか確かめる作業でもあります。

久野さんの改定は、俳優の演技を観て行います(と思っています)。こう書くと当たり前やないか、と言われるかもしれません。セリフの文法上での修正ではなく、俳優の演技を踏まえての修正なのです。
ちょっと例えるのが難しいのですが、AとBという登場人物がいます。稽古をする中で、AとBの間にCという関係性が新しく出来て(見えて)来ます。Cは元の台本には明示されていなかった関係です(もしかしたら隠れていたのかもしれませんが)。そのC台本に改定として書き込んでゆきます。そのことでA,Bを演じる俳優は「自覚的に」Cという関係を、演じながら作ろうとします。すると、稽古の試行錯誤の中で、今度はDという関係が出来てきて・・・・。
というような繰り返しを稽古と台本改定の間で行っている、と私は思います。久野さんは台本を書き換えることで演出を行っているのかなあと。

ひとまず頭から終わりまで物語を通すことが出来ました。ですが、そこで作業が終了するわけではありません。稽古の中での関係性の振れ幅や、意識的に出来たこと・できなかったこと、無意識的に出来たこと等を踏まえて、また新しく物語が作れるように稽古してゆきます。




本番の時にもそのくらいの変化が出てきたらいいなあ、と思いながら稽古をしています。

客席編1127片桐慎和子

今日久野さんは七井さんと私の芝居をみて腹を抱えて大笑いして、芝居が止まったそのあとも何分か笑いが止まらず思い出しては笑っていました。

そんなことは初めてで、このところ台本の改定が続き俳優に申し訳ないと言いながら自身を必死で保つ久野さんの体がすごくゆるんだのがわかって良かったなあと思いました。

今日のその時間だけで、もう本番やらなくても元が取れる(なんの?)気がしたひとときでした。

稽古に限らず、演劇に限らず、どんな場面でも自分は何を目指すのかを改めて心の中で確認したひとときでもありました。

舞台編1129諸江翔大朗

今日は一言の輪郭を形作る、そんな稽古場でした。
約8ヶ月の稽古で、僕は今までどの位「気付かなかった」のかをかけら程ですが、自覚した気がします。それは、このメンバーで稽古をし続けてきたからこそだ、とも。
「あの」「いや」「え」そんな短い言葉にも時間をかけて命を宿す方法を探る、僕にとっては未体験の稽古場。ただ、ひとたびその言葉に命が宿れば、それまで縛られていた何かが一気に解けていく感覚はとても大切な物です。

本番までもう2週間です。それまでに少しでも多くの言葉に命を宿し、お客様を迎え入れたいと思います。楽しみにお待ち下さい!

舞台編1130中村一規

本番まで稽古はあと数回。
今日も稽古場には、いろいろなものがあります。
小道具や大道具(仮のものも、本番用のものも)。衣装。まかないのカレー。お菓子、飲み物。見学のお客さん。
もちろん、台本。役者。スタッフ。
本番まで稽古はあと数回。
今日も稽古場では、いろいろな稽古をします。
アップ、ストレッチ。改めて台本の解釈。休憩。台本覚え。抜き稽古。解らないところの確認。おやつ。セリフの整理。食事。動きのチェック。通し稽古。

それを見ながら、稽古場とはなんだろう。と考えます。
何があれば稽古場なんだろうか。と。
こういう時は、極端な話で。削れるのを削れるだけ削って、それでも残ったものが稽古の本質です。

大道具 → なくても稽古はできる。
カレー → 当然なくてもいい
台本 → ん~、必須ではない。
スタッフ → 役者が兼ねれる
役者 → なんとなく必要っぽい
アップ → 家でもできる
各種相談、確認 → 稽古場じゃなくてもできる
おやつ → 個人的には必要だけど、たぶんいらない

と考えていくと。稽古場に最低限必要なものは、やる人と見る人。
やることの最小単位は、「誰かがやって、それがどう見えたか」
どう見せたかったのかではなく、どう受け取ったかを共有すること。
それがあるところが稽古場なのかなと思います。
では劇場は?
稽古場と一緒です。やる人と見る人がいること。
今回の作品のテーマは劇場です。
劇場が劇場になるには、見る人がお客さんが必要なのです。
お客さんが来てくれることで、劇場の最小単位が成立します。

そうです。宣伝です。
チケット予約受付中です。缶の階でした。

合同稽古1201七井悠

本日はサザンシアターにて、舞台編・客席編の合同通し稽古でした。
スタッフの方々も、久野さん、演出助手のお二人に加えて、舞台監督・照明の葛西さん舞台美術のステファニーさん、制作の浅田さんも来られての大所帯でした。

今回の公演は二作品を個別に上演、連続で上演の2パターンがあります。
連続上演と個別上演では、舞台転換などの関係で作品への入り方が若干違ってきます。
実際の劇場で通してみることで、転換に必要な動きがわかりました。
これもサザンシアター仕様なので、ウイングフィールドではまた別のやり方を考えなければいけないのでしょう。
役者が転換など舞台周りに関わることは、劇場と自分の距離を近くするように感じます。そのことで役者の演技がどう変わるのか、とは具体的には言えないのですが、今回のように劇場を舞台にした作品の場合は必要な作業だと思っています。

舞台編の通しを見るのはとても久しぶりだったのですが、色々な変化を遂げていました。演じる側と観る側の意図は当然のごとく一致しないものですが、私のうかがい知れない作業によって、本番に向かって洗練されていました。
私自身も舞台上で何かを演ずるという意識から、相手役である片桐さんを頼りにセリフを言う、という方へ在り方も変化してきています。これも面白いことだなあと思っています。

二作品を通しで見ることで、「一つの劇場内で起きている二つの物語」として、より想像力を揺さぶるような作りになっていると思います。
ご来場くださるお客様はお楽しみに。
予約がまだの方は是非ご予約ください。

客席編1208中村一規

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本番まで一週間をきりました。
ウイングフィールドでの缶カフェや、販売用の缶グッズなども形が見えてきましたよ。

というわけで、今日は販売用の上演台本の校正をしてました。
今回の二作品に加えて、久野さんの過去の戯曲も大きさを合わせて作り直し。
段組が変わると、受ける印象が変わったり、空白がずれたりするのでイチからチェックし直すのです。

というわけで今日は、初期作からの過去の台本をまとめて読んで最終チェック。
隣のスペースからは役者さんたちが、お稽古している声が聞こえます。
久野さんのセリフをBGMに、久野さんの台本を読んでいく。
なんともまぁ贅沢な時間です。

まとめて読むといろんなことがわかります。
昔から変わってないとこ、変わってきたとこ。
古い作品に、今回の作品に出てくるのと全く同じ言い回しがあったり。
逆に「へぇ、こんな言い回ししてたんや」という驚きがあったり。

セリフが遠くから聞こえてくると、やっぱり影響を受けるのか、普段よりどっぷり作品に浸かれるような気がします。

文学作品は、「その小説の舞台になっている土地に実際に言って読む」という味わい方があるそうですが、
そういう意味では、戯曲の味わい方として「稽古場で生のセリフを聞きながら、違う台本を読む」というのも贅沢な快楽の一つではないかと思いますね。

一通り終わってから、改めて今回の作品を見ると、なんとなく深く理解できるような気が…
感じ方が変わるところもありやなしや…

あと稽古も少しですが、この発見は少しでも今作に還元できれば。と思いつつの今日の稽古場でした。

あ、台本はウイングフィールド・サザンシアター、両方で販売予定です。
良かったらお声がけくださいませ

最終稽古1211杉本奈月

足りない食材を買って帰路についています。
駅の終点、電車はまだ止まったままです。

缶の階の最後の稽古が二つの劇場にて終わりました。
船場サザンシアターとウイングフィールドです。
チラシやパンフレットの準備も終わったので、演出助手としても宣伝美術としても、できることは何もなくなりました。
明日の朝は演出班の三人で食材の買い出しに行きます。
久野さんの立てた料理計画にしたがって、あたたかいご飯と汁物を役者さんとスタッフさんへ提供します。料理上手な中村さんが腕をふるってくれるようです。
まずは船場サザンシアターにて。三日のあいだ、わたしたちは劇場に缶詰めとなります。
烏のように真っ黒な劇場と一人の劇場主さんです。白いのは地下への入り口と受付と楽屋だけです。受付には制作の浅田さんがずっとついてくれています。チケットのもぎりや、落花生のつかみどり、缶食品や缶グッズの物販が行われます。
ここで、わたしたちはお客さんの到着を待つのです。
舞台監督と照明の葛西さんが舞台へ上がります。灯体を吊り込んでいる諸江さんへ演技の指導をしています。舞台の袖で太田さんが、客席の隅に七井さんが寝そべっています。二人とも台本を片手に何かを呟いています。客席には片桐さんが何も持たないで静かに座っています。彼らは何を見ているのでしょうか。
やがて二つの舞台が立ち上がり、また新しく生まれてくる言葉を足掛けに、舞台美術のステファニーさんが図面を引き直します。そうしているうちに、藤原さんが到着しました。音響効果の二人が連れ立って楽屋の扉を閉めるも、ある音について言及する合田さんの声が壁越しに聞こえてきます。
久野さんが稽古終了を告げて、わたしたちはお客さんがそうするのと同じように拍手を送りました。まばらに、そしてまばらに足音が遠退いていきます。
今日の稽古場日誌を書くようにいわれました。ですが、ここまでくるともう終わったも同然で、もはや何も書くことがないのです。
終点までは行かず途中で駅へ降りました。家に帰るまでが稽古です。
缶の階は明日より小屋入りです。
2014年12月13日、船場サザンシアターにて初日をむかえます。

やかんのお湯が沸きました。
料理ができないわたしは、これからカップ麺をすすります。

小屋入1212中村一規

小屋入り初日
いよいよ明日から本番です。
劇場というのは、箱というくらいなので中に何かを入れることができます。
できるのなら、入れてみましょう。というのは自然な成り行きで。
というわけで階のみんなは入れるものを何年もかけて作ってきたわけです。
いよいよ明日から本番。
仕込みがあって、灯りと音なんかを決めて、練習も大詰めで、今日はちゃくちゃくと準備をしました。
明日の朝には幕が開きます。
二人芝居ですが、三人目の隠れた主役は劇場そのものです。
劇場にとって、本番中と言うのは、日常なのか? それとも特別な時間なのか?
お店やさんは何となくお客さんが入っている時間が日常のような気がします。
図書館も開いてる時が日常。灯台は明かりが付いてるときが日常。駅は電車が動いている時間が日常の気がする。
でも、そのための場所であるにもかかわらず、劇場にとっても本番中というはやはり特別なことのような気がします。だから、わざわざ「幕があく」と言うのかもしれません。
閉まってるのが普通なのかも。

劇場の話が二作品ありますが、実はどちらも本番中の話ではありません。
箱に何かを、詰めようとあくせくしている時間のお話です。
サザンシアターには、我々が用意してきたものが詰まっています
始まります。
そして、何日か後には終わります。
始める瞬間と終わる瞬間がきちんとわかるというものは、実はそんなに多くないのかもしれません。
ましてや、それを自分たちで決めれることは本当に少ない。
だからこそ、無事に終わるといいなぁと思います。
きちんと終わらせれると、また始めれるかもしれませんから。
芝居の神様の祝福がありますよう。

客席編最終稽古1225中村一規

追加公演に向けての客席編稽古。
本番を経てということと、そんなに大きい演出の変更はないということでのんびりめのトークから稽古を。
お客さんのアンケートやネット上の感想など、いろいろな意見をいただいたので、捉えられ方についていろいろなお話をしました。

お稽古を見つつ。
いいお芝居って何だろうかと考えていました。

誰かが昔、喋ってたのですが、いいお芝居と語れるお芝居があるそうで。

いいお芝居というのは、お客さんが想像しうる、求めるものが加不足なく全部あるお芝居。
満足して帰えれるお芝居です。

語れるお芝居は、何かは過剰にあるけど、何かは決定的に足りないお芝居。
そういうお芝居は、それを理解する成立させるために、観客に何らかの参加を求めます。
だからこそ、それを自分の中で整理するために言葉にすることが必要となります。

今回の作品は、どんなふうに捉えられるのごがすてきなのかなぁ、と考えていました。

お客さんが見た瞬間に「今まで全くそんなことを思ってなかったけど、私はこんな芝居を求めていた」と、思ってもらえるような芝居。
そんなのは素敵かなぁと。

明後日は追加公演です。
みなさまにとってどんなお芝居になりますか。
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