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10/20 点々の階稽古日記(新免)



通常稽古3日目。
今日は東京の大西さんともズームを繋いで、中盤からなんども対局。便利な世の中です。

わたしの役の子は、ずーっと本を読みながらその場にいるのだけれど、不思議なもので気になる話題だと自然と耳に入ってくる。

それは今読んでいる本にも関係ありそうなことだったり、全然関係のないスポーツ?のお話だったり。

本に何が書いてあるのかはもちろん大切なことなのだけれども、その本をいつ、どこで、なぜ読んでいるのかもまた大切なことなのかもしれない、と、なんとなく思った稽古でした。

(新免わこ)

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本番を行う場所で稽古(10月14日稽古日記 七井)

10月14日、初の顔合わせ?稽古(Zoomでは何回かやっていました)は、本番の会場である space korallion (スペースコラリオン)さんをかりておこないました。HP→https://spacekorallion.amebaownd.com/ HPの写真でもわかるように、白い壁と木調の家具、コンクリート打ちっぱなしの床と、一見カフェのような趣期のある場所です。階の公演は通常の劇場ではなく、実際に生活の中で見るような建物や場所を使うことが多いため、どうやって現実の場所に物語(嘘)を持ち込めるかが必要だと思っています。

この日の稽古も、会場内の客席の配置を考えたり、ステージ状になっている段差を演技でどう生かすか 等ということを試しながら行いました。
今回の作品は再演です。初演時、稽古の最初のほうは台本にイスが指定されているにも関わらず、どうしてもト書きのタイミングでイスに座ろうとすると演技が死んでしまう ということがありました。そのため漸く椅子に座り始めたのは、セリフの稽古を徹底的にしてからでした。

場所も自分自身も変わった今回の再演が、どういう方向に動いて行くのかが楽しみです。

4年前の点転と来年の点転(稽古場日誌 佐々木峻一)

4年前にやった点転という実在しない幻の盤上競技の棋士の役にまた挑めることになりました。うれしいです。

4年前にやったときは、ぼくは階に出るのは初めてで、長い台詞をどうやったら言えるか、セリフに引っ張り回され、どつき回されるような半年間の稽古だったように記憶しています。台本を頼りに、自分と相手役の関係を使って、実在しない幻の盤上競技を舞台上に実在させなきゃいけない。初演のときはこれを実現するためにとにかく必死にセリフを言っていたような気がしています。

それはそれでおもしろかったのですが、今回は再演ということで、本当にありがたいことに最初から全部の台詞が体に落ちている。あと初演の点転棋士の人ががんばって作った「点転の型」のようなもの?が既にあり、それもすでに体に落ちている。あとすごいことに高知で2年前に上演された『・・・』では柴千優さん演じる点転棋士という新しい点転棋士も生まれている。

ということで今回の再演は、実在しない幻の競技・点転を、初演のように台詞に引っ張り回され必死になって喋りまくるのではなく、もっと体の表現力を使って言葉の力と拮抗させて、全身を使って点転を存在させられたら、と思って稽古しているところです。最近はこの動きができたらいい感じなんじゃないか、と思って真似しています。まだまだこんなふうにはなれませんが、あと4ヶ月がんばりまーす。

10/29(三田村)

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皆さまお元気ですか。
この度行う予定の「点転」は4年ほど前、タイトル「・・・」として、京都芸術センターで上演されました。雪が降っていて、とても寒い冬だったことを記憶しています。あれから4年ほどたち、新型コロナウイルスをはじめ、世界はすっかり変わったような、気がします。自分のことはよく分かりませんが、この座組のメンバーそれぞれもこの4年で様々なことを経験し、それぞれが善く、逞しく、変化したのではないかなあーと稽古場に居て感じます。皆とりあえず、今のところまだ健康そうでなにより。果たして作品がどうなるのか、そもそも無事に上演までこぎつけることが出来るのか、なんて、その時が来てみないとわからないものだと思うようにしています。まあ、そんな状況なんで、まずは2月の大阪公演を目標に、のんびり楽しんでやっていきたいと思います。

(再演は、変わるものと変わらないものが同時にそこにあって良いですね〜(台詞も入りやすいし…))

稽古ではない日記でもない会場についての寄稿(新免わこ)


会場について

わたしの関わった階の公演で、black boxだったことはまだないのだけれど。
今回も違っていて、カフェでやるのですよね。

元々は違うお名前だったところを今の管理人さんが引き継ぎ、スペースコラリオンとして再出発なさったのですが、これがまたよい場所でしてね。

おそらくカフェ、と言われて想像するような空間ではなく、木目の暖かいステージがあり、梯子があるのです。

カフェにはしご。

登るしかないですよね。

今のところアクティングスペースなので、役者しか登ることができないのですが…

どのように登るのか、はたまた登らないのか、楽しみにきていただけたら幸いです。

大阪公演は2021年02月27日〜03月01日
十三はスペースコラリオン さんでお待ちしてます。

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観客になる時間(田宮)

はじめまして、10-12月の期間限定で演出助手として携わっている田宮ヨシノリです。

とはいえ、やってることといえば、稽古場で久野さんや俳優の方々の色々をお手伝いさせていただいています。

そんな中で主な仕事は、稽古場レポートを書く事です。稽古を見ながら、浮かび上がってきた演出家・俳優の言葉や感覚をメモして整理して、言語にして残す作業なのですが、これを行うことで、何かが積み上がっているという感覚が視覚的に待っているように感じています。

なので、代役をする時以外では基本的にずっと観ているのですが、その時に、稽古場にいるのに、不思議と自身が演出助手でも俳優でもなく、一人の観客になっているような感覚があります。

それがなんなのかはさっぱりわからないですが、そんなこんなで日々稽古をしております。日々積まれていく、ある一日のとある出来事。興味深いです。

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再演の難しさを知る稽古(稽古場日記 七井)

14日は、大阪での本番とほぼ同じ広さの稽古場で稽古でした。

この作品には4年前の初演で参加しています。当時どういう稽古をしていたのか思い返すと、演出である久野さんの求める「台詞の
言い方」、およびそれができる体の状態 をひたすら追求していました。
言葉の文章としての意味を追うのではなく、その場の(即興に近い)やり取りの応酬で、役や話の筋を作っていくような感覚です。

今回の再演で何回か稽古をしているのですが、初演の時よりも台詞の意味やニュアンスに、より注意が行くようになりました。
より論理的に台詞を聞いてしゃべっているというか。
なので、稽古の進み具合(作品の出来上がり具合)と自分が話している言葉との、違和感というか乖離が多くあります。
言葉に手垢がついているような感じです。
でもそれは初演とは違って、そちらの方向にも行けるように、作品を作る ということなのだと思います。
どこに着地するか今のところはわかりませんが、今回はそういった難しさを感じながら稽古をしています。

演劇の稽古をすること(稽古場日記 佐々木峻一)

9月からzoomでの読み合わせを8回くらい、10月から稽古場での立ち稽古を9回やった。
リモートでの稽古も、稽古場での感染対策をとりながらの稽古もちょっとずつ慣れてきた。ちょっとずつ「こうすればいいか」ということが分かってきた。距離をとったり換気したり消毒しながらの稽古も、慣れれば逆に快適だったりする。ただマウスシールドやマスクをつけての演技だけはちょっと邪魔でしょうがないけど、みんな同じだし仕方ないと納得できる。

そんな中で、初演を経てセリフも完全に入った状態で10回くらい稽古してみて。慣れとの闘いになるなあと思えてきた。初演のときは、「いかに舞台上で何もしないか」が大事だと思って、本番の舞台で何もしないでいられるために稽古をするんだ、とか言っていた。それは今回も変わっていない。しかし準備万端に整えて台本も最初から最後まで確認して、余裕を持って稽古場に入って充分にアップもして完璧だぞ!という状態で何度も稽古しても、どうしても要らんことばっかりしてしまう。それはまだ稽古序盤ということもあり、「毎回違う演技をして、早めに手札全部出し切るぞー」とか思って稽古していることも原因だとは思う。今書きながら、「そもそも嬉々として『毎回違う演技をするぞー』とか言っているってことはもう要らんことしようとしまくってんじゃん!」と気づいたのだが、じゃあどうしたらいいのか。

先週の稽古では階の稽古恒例のロックなセリフ合わせというやつを久野さんが久しぶりに導入、新免わこちゃんが急激にいきいきし始めたりもして、やっぱり演技を決めていくようなことは、とくに階の稽古場では、難しいやり方なんだなあと思いながら見ていたり、自分もノリノリでロックなセリフ合わせに参加したりもした。ぼくの役はおもに七井さんと喋る役なので七井さんとロックなやりとりを久しぶりにしたのだが、なんだか感慨深かった。4年前の初演のときはこのロックなセリフ合わせというやつを教わって、何も分からずとにかく毎稽古のアップ中にセリフ合わせをさせてもらっていた。あのときから比べて、七井さんのパルプンテ的なセリフにも、ぼくなりの闘い方でそれなりに立ち向かえるようになった気がして嬉しかった。それにしてもロックなセリフ合わせの七井さんは強すぎて、あらためてこの人何なんだと思った。変幻自在な理解不能な武器で闘って相手を翻弄させながら、こっちのどんな攻撃にもどっしり構えて揺るがない。不安になってこっちがちょっとでも下手な攻撃に出ると一気につけ込まれる。あれは強い。

そんなロックなセリフ合わせがやっぱり大事!という先日の稽古を経てから何回かの稽古は、個人的には楽しかったけどあまりいいものではなかった。おそらく、楽しく演じるということに下手に目覚めてしまって、すぐマンガみたいな演技になってしまっていた。そうすると楽しいだけになって、苦しいシーンでもどこか逃げ道ができてしまってそこに逃げることができてしまう。それをこないだようやく脱せられたのだが、そのときは「役を演じるという意識ではなく、この場所を作り上げるという意識でやろう」と思ってやった。そう思うと要らんことをする必要がなくなる。シンプルに立てる。

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そんな感じでいろいろな脱線を繰り返しながら、なるべく同じ道を進むことなく、最後の最後の本番直前まで何も決めることなく悩みながら舞台に立てたら、と思っているところです。というわけで、稽古は順調です。そのためには毎回本番と同じように稽古することが大事で、つまり稽古をする上で必要なのは集中力、それだけ!というバカ丸出しな結論に今は落ち着いているところです。

点々の階の稽古場(稽古場日記 田宮ヨシノリ)

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演出助手の田宮ヨシノリです。今回は点々の階の稽古場を出来るだけ見たままに書いてみようと思います。

ここに書くことは、当たり前のことかもしれないけど、当たり前のことが大事だと思う日々です。

稽古開始が13時だとすると、12:15には稽古場に入り机を移動させたり、窓を開けて換気したり、諸々の準備をする。

なぜならば12:20を過ぎる辺りから、アップをするために、ぞろぞろと俳優が集まり始めるからだ。それまでには机をどけておきたいと思うが、たまに俳優が自分よりも早く入ってアップをしている時もある。

俳優のアップはとても入念で、毎稽古30分ほどの時間をかけて、ストレッチから発声まで、丁寧に行う。

13:00前になると演出の久野さんが来ていて、稽古が始まる。

今回は再演という事もあり、セリフはもう既に入っている状態から稽古は始まっている。
稽古はいつも基本的に頭から行う。そしてシーンを細かく返したりしない。なので、一時間ぶっ通しでやる事がざらにある。

というのも、稽古を止めるというのは、今そこで起こっている現象を止めてしまうことで、久野さんはおもしろいと思っていたら基本それを継続させる。だから、気づいたら全通ししちゃってる。

大抵の場合、一度に集中して、シーンを長く行い、長めの休憩をとる。その時に、久野さんが俳優それぞれのところに行って、「何をしたんですか?」と問う。そして、俳優と話しながら、今の稽古で起こった現象が、どうして起こったのかを考える。
そして、またシーンを長く行う。それの繰り返し。しかし、今のところではあるが、台詞の言い方の指定や、動きの指定などはまるでないため、シーンは繰り返しても意味的には全く違うものになる。
そして、また今何が起こったのかを一緒に考える。

階の稽古はいい意味で俳優ありきだと感じる。久野さんにとっては、脚本に書いてあることや内容よりも、目の前で繰り広げられている音と身体の応酬が重要で、それを楽しんでいる。(もちろん内容も重要視しています。)

今回の座組は皆さん常連の出演者さんで、演出家との信頼関係が育まれており、だからこそ疑うことなく、今何が起こっているのかを大切にしているように感じる。

久野さんが、「私が脚本に書いてないことが起こっている。」と楽しそうに言っているのがとても印象的で、僕は演劇の懐の深さと俳優の底力を、今一度思い知っている日々です。

稽古日記11/18分(新免)


稽古にあたり、いろいろな場所を借りてするのですがこの日は和室での稽古でした。

洋室よりもやりやすくて、なんでなのか考えていたのですがおそらく天井が低いので空間が把握しやすくて、結果として集中力が高まったからなのではないかと。

ということは普段からもっと集中力を高めていたら、もっと楽しめるのではないかと。

どなたか集中力を高める方法、教えてください…。

私の初日稽古(大西稽古日誌)


「点転」オフライン稽古に1人遅れてやっと参加できました。すでに稽古も進み、私以外は初演からのメンバー、更に練り上げ、新しく試したり良い感じのようです。焦ってもしょうがないとは思いもつつ、久しぶりの稽古場は楽しくも少し緊張しました。
今日の稽古場はとても日当たりよく暖かな和室で、皆さん口を揃えてなにやら演技に影響もあったよう、
ふんわりとやわらかな芝居の空気でした。
初日の私にはありがたいことです。
つくづく場所って大事ですね。劇場選びに久野さんがこだわっている理由が分かる気がします。

稽古がスルッと始まり、1つの時間が流れてるなかに別の時間が流れ込み、
会話が生まれ関係性が絡まりストーリーが転がっていく。
そんな当たり前のことを目の前で見て、ああ、やはり生の芝居を見るのはいいなぁと思いました。

私は今回あまり台詞は多くはありませんが、喋らないとは難しいものだといつも思います。
劇中会話を交わさない相手との関係性をどう表現するのか、台詞に頼れないところをお互いに探り合っていくか、
話し合ってみるか、こういうのは人によるのかもしれませんが。相手はどう考えてるか
聞いてみたいような、聞かなくてもいいような、それも探っていきますか。

という私のスタートです。

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稽古場で見聞きすること(稽古場日記 湊游)


こんにちは。演出助手の湊游です。

12月6日、7日にかけては大阪公演の会場(space korallion)で、実際の上演に近い舞台セットを組んで稽古を行いました。

今回の作品は再演なので、大きなストーリーは参加者のほとんどが把握しています。
そうすると俳優もスタッフも「今まであった流れみたいなもの」に沿ってしまいそうになります。
けれども、お話に出てくる人物たちはもちろん「そんなもの」知るはずもありません。

だから稽古場で人物たちに何が起きたかを見逃さないことが大切です。
昨日稽古場で起きていなかった事が起こった時のシーン稽古は宝の山みたいなものです。なのに外から見ていて気づかずに見落としてしまうこともあります。
見ているつもりで、全然見れていない、聞くことができていないのだと悔しくなることもあります。


また、稽古場では時に作品の大前提が変わることもあります。
昨日まで横長だと思っていた部屋がほぼ正方形になったり…。
なので前回は横長前提で会場を利用しましたが、今回は全く違う向きで稽古が実施されました。

自分だったら完全に戸惑ってしまいそうですが、稽古が始まった瞬間には俳優の方々はもう空間に溶け込み、新しい状況を丹念に見聞きされています。

稽古場に来るといつも「俳優はすごいなぁ」という粗末な表現しか出てこない自分が恥ずかしい…。
同時に、上演される頃にはどの俳優達もどんな領域に達していくのだろう。ということを考えると本当に楽しくて仕方ありません。


いよいよ上演まで3か月を切りました。
目に見えないウイルスの対策も踏まえての創作なので、留意すべき所をしっかり留意して、これからも稽古場をサポートしてゆきたいと思います。

劇場で稽古したよ(佐々木峻一)

こないだは大阪公演の会場のコラリオンさんを2日間お借りしていろいろ検証しました。感染症予防対策について、舞台の向き、舞台に置くもの、照明や音響、衣装など。
2日目にはスタッフさんたちも来てくださって、通し稽古をしました。その感想を書きます。

客席に人が座っていて、舞台上で演劇をやる、というのは、やっぱり変な行為だなというのを、久しぶりに感じることができました。開演時間になって、始まるな、という雰囲気みたいな総意みたいなものができてきて、いよいよ、満を持して、舞台上に登場人物が出てきて、セリフを喋り出す。自分も舞台の袖で衣装に着替えたり準備して、タイミングが来たら舞台に出ていく。いつも稽古場でやっていることと同じはずなのに、衣装を着ている、舞台装置がある、客席に人がいる、というだけで、こんなにリキんでしまうものなのね、と思った。展開のスピードのコントロールなども稽古でやっていた理想の速さよりも速くなってしまって、どんどん勝手に劇が進んでいってしまうような感じ。この日の通しに向けて、あれだけ稽古を重ねたのに!と思って悔しかったです。

しかし、舞台と客席と衣装があるという違いだけで、あんなに普段の稽古場とは違うことになるとは。という当然のことに改めて驚かされて、くやしかったけど、おもしろかったです。とくに客席というものは恐ろしいものだなあと思わされてしまいました。ぜんぜんちがう重力のような力学が発生してしまうのですね。びっくり。何年演劇やってんだよ。

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稽古場日記(新免)


最近、びっくりするくらいお芝居がダメダメだった。
人がしているところを見るのはワクワクしたのだけれど、さて自分のターンとなるとダメだった。

やらなきゃいけないこと、ある程度は仕上げねばならないこと、つまりは舞台にいる上で担わなければいけない役割?について考えながらしていたつもりなのだけれど、どっこい噛み合わない。

諦めました。上手くなること。(?)

私が好きだと思って使いたかった方法、武器等はどうやら私に向いていないみたいでした。というかまだ早かった!

はあやだやだ。すぐには上手くなれないな。

でも今の勘だけでしたら思ったよりも聞いてもらえた。

久しぶりに、ちゃんと人と関われたというか。
そもそも私の思うお芝居の楽しさって、そちらなんじゃないかと。

もちろんこれから技術も手に入れたいけれど、今向かってる方向は違う!まだ早い!ということがわかりました。カストロさんの気持ちわかります。

先輩たちの胸存分に借りまくってどうにかワクワクしてもらえるようになります。どうなったのか、見にきてくださいね。

新免わこ。

奇妙な稽古になってきた(12月19日稽古日記 七井悠)

奇妙とは大きく出ましたが、何がどうなってきたのかというと、最近稽古をしてもそれほど疲れなくなってきたのですね。
階の稽古は、普通に頭から最後まで通す稽古なので、集中力と体力を使います。
いままでは、稽古終了した時には左の腰と右肩辺りがズーンと重たくなって、まあ「疲れたなー」という感じがありました。
結構体の癖が強かったのではないかと。

自粛期間中体調がよろしくなかったこともあって、稽古が始まってからは自分の体の調子には結構敏感になり、最近
「正しい姿勢でたつ」ということを自分なりに意識するようにしたのです。
そしたら程よく脱力している感覚があって、あまり疲れなくなり(手を抜いて稽古しているわけではない)。
その証拠に、前回会場で長めの稽古をした後も、十三の商店街にある総菜屋さんで楽しくお買い物して帰りました。

これは私が常々気を付けている、適当にやる ということができ始めているのではないか? と思ってます。

それと作品の中身も、物語の意味がはっきりした段階から進んで、また抽象的な方向に行こうとしている気がします。
ちょっと何言ってるのかわかりませんが。

初演の時はだだっ広い空間でしたので、自分の身体一つを何とかそこで存在させようとしていたので、会話のやり取り よりも
自分の身体の反応を重視していました。そのため台詞がより「音楽的に」聞こえたり出したりしていました。
今回会場が変わって、ぎゅっと狭く・より具体的な空間になったので、台詞の「意味を」届けるように発するようになった。
そのことで、お話の筋は見えてきたかな、という気がするのですが、この日の稽古は、その具体的な台詞に抽象的な意味を
乗せてゆく というやり方ができるのではないかと思った。

いろんなものを全部乗せ 出来たらいいなあと思いました。

「ゆれたくない」点々の階稽古日記:大西智子

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わたくし、遠距離稽古のため久々の稽古参加でした。
慎重に感染対策をしての参加、いろんな意味で気を引き締めて。
参加できない間の詳しい稽古場リポートがありがたいです。
私は書き取るということがとても苦手なので要点を押さえて記録できるって素晴らしい。

階の稽古は「パノラマビールの夜」ぶりですが、今回も「大西さん揺れてます」のダメ出しを受ける・・ああ情けない、申し訳ない。
「揺れたくなったら、止まって台詞の中で動かして」のようなことを言われる。
しかし揺れたくて揺れてるわけじゃないんだよー(涙)と言いたいが「はい」と答える。

うまくいったときといかなかったときの違いは何か?
うまくいったときは体を止めようと思ってたわけではなく、台詞を動かそうとぎゅーと集中していたと思う。
じゃそうじゃないときは集中してないのか私!最低!

では集中できてるとは?体感としては分かるのですが、これが言語化できない。
お腹の下のほうにノシッと何か入った感じがするのだけども、そんなもん石飲んだとかじゃないんだし、これは心と体の状態でもあるかもしれない。ではそれはある程度コントロールできるのでは?

そして会場稽古を経てみて、七井さんが書いてた「適当」もとても重要だと思います。
「集中」と「適当」が共存できるように・・
正月休みの間、考えます!

12/28(三田村)

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写真:紅たえこ


師走。今日は大阪公演会場のスペースコラリオンで年内最終稽古でした。昼過ぎから通し稽古一回、休憩入れて冒頭の返し稽古。

再演でかつ長期間の稽古ですが、皆煮詰まることあれど煮詰まりすぎることなく慣れ過ぎることなく進んでいるような気がします。慣れて落ち着いてしまうことを具体的にどうやって回避していくか。。本番ではどのようになっているのか、よりよくなっているのか、それとも悪くなっているのか、良い悪いとは何なのか どこまでコントロールして、どこをコントロールしないのか、まあ、そもそも上演出来るのか。。

こんな時期に演劇やってるなんて信じられない、という人の存在を心に留めておきながらぼちぼちやっていきたい。来年もよろしくお願いいたします。

火を吹く稽古、再び(新免)

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今日は三田村さんとのシーンをひたすらにした1日でした。もちもち、こねこねと。

絶対に本番で使えないシーンがたくさん出来上がっていくのですが、面白いので本番でもこれでいい気がします。だめか。

普通はしてはいけないこと、まずしないであろうこと、をお互いやるのですが(相手を傷つけたり、公序良俗に違反することはNGです。)三田村さんが強い。悔しいので、公演が終わる頃までには圧勝できるようになりたいです。エモさ勝負ならまだ勝機がある気がします。

がんばるぞ!

稽古場日記(佐々木峻一)

七井さんもここに書いているように、稽古が妙なことになってきております。

ぼくという役者は、2016年から2017年の点の階で、演技の仕方をまたゼロから教わって今に至ると自分を認識しています。そこで覚えたことを基礎としていろんな応用をする形でそれから4年間は舞台に出演してきました。

今回は、その4年前に点の階で覚えたことを更新するときなのかもしれない。というわけで、毎回の稽古で試行錯誤してゼエハア言っているです。

「これだ!」というやり方を見つけられたら楽なのかもしれませんが、そういう言葉で捉えられるようなやり方からはどんどん離れていこうとしているのかもしれません。

舞台上で自由になれたらいいな。どこまでも行けるはず。

1月9日の稽古日記(七井)

ちょっと時間が経ってしまいましたが12日の稽古日記を。

この日、稽古場に着いてアップをしていたのですが、集合時間になっても佐々木君が来ないので
「なかなかヤリよるなぁ」と思っていたら、この日は佐々木君努力クラブの劇場稽古でした。

佐々木君、ごめんなさいm(__)m

努力クラブの公演は今週末から神戸・新開地のKAVCにて 詳細はこちら→https://doryokukurabu.blogspot.com/p/blog-page_25.html

この日は作品の冒頭とおしまいのところを集中的にやりました。
作品の冒頭というものは本当に難しいです。
まだ何も起きていない空間に出て行って、何かを起こす流れを作らなければいけない。
でもその分何をしてもいい訳ですね。
ちょっと前までは最初に舞台に出てゆく時に、緊張というか変な集中をしていたのですが
ここのところの稽古は、すんなり入って行って「なるようになれ」という感覚で出来ている気がします。
これがお客さんが入ったらどうなるだろう?

本番が楽しみです。

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今週は稽古がありません(七井)

今週は稽古がお休みです。なので作品についてツラツラと。

点転というのは作品に出てくる架空の盤上競技なのですが、競技者は「点」を扱います。そして、それまで誰の場所でもなかった場所に「点」を打ち込んで自分の領地を作ってゆく。相手の打った「点」を考察しながら自分も次の「点」を打ってゆく。そして勝敗は、負ける側が決める。これだけ書くと「なんのこっちゃ?」でもあるのですが、とにかくそういう競技です。

相手のある競技だから一人で始められないし、一人で終わらせることもできない。そもそも始める、と終わるって何なのか?
勿論「始める」から「終わる」があるのですが、その「終わる」が次の「始まる」にもなるわけで。
ある時間の流れ(生活する は不断の、今から競技をする は区切られている)の中に打たれている句読点のようなものなのかもしれません。
だから、始める と 終わる はお互いが反対の意味や関係ではなくて、相補的な関係なのだなあと。まあ、善と悪 とか 正義と不義 上と下の関係だってそうなんでしょうね。
考える次元が四次元とか五次元になったら、また関係も変わってくるのかもしれませんが知らんけど。

暮らしていて、「絶対」なんてものは滅多に(というかほぼ)出会うことはなくて、敢えて上げるとすると、この世から自分がいなくなる時くらいのもんで。
でも自分は自分の体の尺度でしか物を考えられないので、自分の考えたことを絶対と思いこんだりするんでしょうな。
上に書いたような「相補的な関係」の価値観で生きていこうとしたら、たぶん山にこもって仙人のように生きなくてはいけないんだろうなぁ.


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今回の作品で僕が演じる役は、劇中で交わされる会話の中で、チラッチラッとこんなことを感じたりするのではないだろうかと思います。

稽古レポートを見直して

演出助手の湊です。
前記事で七井さんが述べていましたが、先週は稽古がありませんでした。
今日が久しぶりの稽古。上演までいよいよ1か月と佳境に差し掛かりました。第2ステージといった感覚でしょうか。

小屋入り期間からはこれが確実に第3ステージ、あるいはその先に進んでいくことになります。
ここまでの積み重ねが活かされつつも、どんどん新しい何かが起きてほしいとわくわくしています。


俳優さんのチャージ期間中、稽古再開に向けてここ1か月分の稽古場の記録を見返しておりました。
稽古場では様々な発見があります。再発見もあります。それがとつとつと記録してあります。

俳優さんたちと演出の久野さんとが最近稽古場で何度も話題にしていたテーマは、
「身体(精神)の状態と身体の表面積の大きさの関係」
というものでした。

言われてみれば・・・表面積が大きいものって面白いなと感じます。なぜでしょうね?
見ために複雑、単純じゃないからなのだろうか?
いや、そもそも表面積が大きいってなんだろう?

少なくとも普通に立っている(座っている)状態とは違っている気がします。
怒られてシュンとしている人は小さくなるし、喜んだり楽しんでいる人は動作が大きくなったり・・・。

稽古場では、俳優さんの動きに対して久野さんから「今のは動物の威嚇のような感じ?」という意見が出てきたこともありました。
確かに動物が威嚇している時は毛の一本一本まで逆立って、物理的に表面積が大きくなっています。

こういった稽古場で起きていることを見逃さずに、なぜそれが起こっている?と疑問を持ち続けてゆきたいと思います。

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稽古日記?(新免)


下書きにしたままでした…供養。(1/23作)


七井さんの先述の通り今週は奇妙な稽古もお休みなので、わたしは場所についてにしようかな。

場所は葬儀場の一階、普段は物置として使われていそうな、にしては不思議と生活感のある部屋です。

窓からは時折煙が上がっているのが見えて、たまに不思議な音もします。うっすらと差し込む光が綺麗で、いつまでものんびりしていたくなるふかふかのソファたちもあります。

床は転がってもよし、板の流れを手で楽しんでも良しの木の床です。

みんな1人の時はこっそり登っている、どこに繋がっているのか、ロマンあふれる不思議な階段?もお気に入りです。

たまに道具を取りにくるひとや、ピアノを弾くひと、煙の上がる間窓をぼーっと眺めたりするひとが来ます。

次はどんな人たちがここを訪れるのか、楽しみです。

ぼーっと、お待ちしております
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1/27劇場稽古(佐々木峻一)

自分の劇団の公演が無事に終わり、(ありがとうございました)、2週間ぶりの点々の階の稽古再開でした。
ここから1ヶ月は点転1本に集中。無事に本番が迎えられますように。

今回の再演版『・・・』では、初演と基本は同じですが大きくちがう点がいくつかあります。
そのうちの一つが劇場です。

初演は広い講堂でしたが、今回は小さな空間に椅子や机などを雑多に置いた空間になる予定です。
現在は本番会場での稽古を繰り返して、どんなふうに物を配置するのがいいのかも検討しているところです。

年始初めての劇場での通し稽古では、初演でも着ていた衣装の喪服のズボンのおしりが破れてしまいました。
初演の8ステージでは全くそんなことは起こらなかったのに今回破れたのは、この4年の自分の変化を見るようです。
単純に太っただけなのかもしれませんが。
いや、太っただけでは股は破れないか。
まあなんか、自分が変わったのがこんな形でも分かるのは楽しいです。

そんな変わってしまった自分のせいで、今は丈夫なスラックスを探しているところです。
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稽古日記「ロックで稽古」大西智子


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劇場で稽古ができるというのは、本当にありがたい。
が、なんだろう劇場でやっていると演劇をやってるような気がしてしまう。演劇なのだけど。
客席があってお客に観てもらう為に舞台でやってるような。
久野さんが舞台上の椅子やらなにやらを動かしはじめた、あーでもないこーでもない。するとあれ、空間が広がって客席も1つの同じ空間に見えてきた。不思議だ。これを演技に反映できるといいな。きっと方法はあるはず。

稽古は久々のロック稽古、階ならではです。皆無茶苦茶のようで同じ台本から飛んだり跳ねたり遊んで戯れる。そこで体の自由な感覚を楽しむ、あ、これこれ、台詞の字面に縛られそうになって書いてないアレコレに思いを馳せられなくなってた自分を知る。
もっと自由に自由になりたいなぁ。
自由に台本の文字の海にドブンと潜り、深海までいければ幸せなのだけども。
頑張ろう!

上演まで後1か月(湊游)

今週は本公演の上演会場での稽古をしております。
舞台美術も本番を想定したセット組を行い、最初から最後までの通し稽古。
ここから1か月で作品を良くするためにまだまだできることがあると実感。実りの多い1日でした。

シビアな事情が沢山あります。去年から引き続き感染症対策に奔走しておりますが、本当に気を抜くことができません。
なんとかここまでやってきた。後1か月でまずは一つ目のゴールのようにも思えます。

そんな中作られていく「点転」という作品。
どうかお客さんをこの舞台空間にご案内できますように。

ちなみに公演チラシの作成がじわじわ進んでおります。
今回のチラシはちょっと変わったチラシになっています。

チラシ
(!)


デザインは小泉しゅんさん(Awesome Balance)
またチラシの神秘的な美しい写真はbeni taekoさんの撮影。

お客さんのお手元に届けられる日が待ち遠しいです。


寒い季節、厳しい季節がまだもう少し続きますが、どうか皆さまもご自愛ください。
十三 space korallionにてお待ちしております。

●公演情報はこのリンクから●

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2月6日の稽古日記(桜田)

初めまして、演出助手として参加しております桜田です。

いつも「俳優さんは大変だなぁ」と思いながらその日の稽古の記録をつけています。

改めてセリフの確認をということで、読み通しを行った日の稽古日記を書きます。

(外から見てる感じだと)自分の役を再認識しながら読んでいたり、身に付いている感覚?言葉?と台本に書かれている実際の言葉とを照らし合わせていたりと、この日も色々な気付きや発見があったようでした。

言葉やその意味に囚われすぎるとそこから離れられなくなってしまいますが、逆に距離を取りすぎると方向を見失ってしまう。

バランスって、大事だけど難しい。
何が難しいって、あるものとあるものの“中央”という意味ではないところが難しい。カレーのスパイスみたいな…?

でも案外難しいと感じるものは「難しい」という認識を取り払うことにより解決しちゃうものなのかもしれません。


チラシ

稽古の密度が違う(2月13日稽古日記 七井)

13日の稽古日記です。

階の稽古は台詞を覚えてからが勝負というか、台詞を覚えないと(台本をもって稽古することをやめないと)始まりません。
自分の台詞と相手の反応に対して、かなり集中しないと演技が継続できないから(私にとっては)。
そのため、シーンを細かく切って反復稽古というよりは、作品を大きく前半と後半に区切って通して稽古したりします。
細かくきぎって決めてみても、全体の流れの中では演技が一致しないことがあるから。
必然的に俳優は、演技に或る流れが出来てきます。
そこまで来ると、今度は一気に作品を通してしまう。

最近は通し稽古1回だけをして稽古が終わる、ということも度々あります。
だらだらと返すのではなく、その時点で出来るベストテイク決めてサッと帰る、みたいな。
プロボクサーの世界チャンピオンが1回のスパーリングだけ入念にやって帰る、みたいな(決してそんなことはない)。

稽古の密度が、稽古開始時からは明らかに濃くなっています。
自分の出す情報、相手から受け取る情報、自分の軸がぶれる時のブレ幅のメモリの細かさ...

後は観客が入った時に、何をどこまでできるのか という段階になってきました。

劇場稽古を繰り返している(佐々木峻一)

何度もスペースコラリオンさんで稽古させてもらっている。

本来なら本番と同じ場所で稽古させてもらえることはとても珍しいことで、ありがたいことなのに、今回は何度も稽古で使わせてもらって、しかも客席も美術も組んだ状態で、ほぼ本番と同じ環境をつくって何度も稽古できている。コロナ禍で使う予定だった稽古場が時短営業になった影響なのだけど、ここはコロナ禍だからこそ巡り会えた環境をありがたく思わなければいけないところ。

なのに、そんな稽古を4ヶ月も繰り返してきて、最近妙にスペースコラリオンという場所に身体が拒否反応を示すようになってしまっていた。なんだか舞台上に立つととにかく落ち着かなくて、客席があるということに腹が立って「舞台に立って演技してんなあ」という気持ちがつきまとって、セリフが全部気持ち悪く感じてしまっていた。通し稽古になるとひどくなって「こんなんじゃだめだ、ここは舞台じゃなくて、あれは客席じゃなくて、ちゃんとしなきゃダメだ」と思って頑張れば頑張るほど力が入って、普段の稽古でできていたことができなくなってしまう。贅沢な話で、贅沢病みたいだな。

なんとかしなければと思って、本番週の前に最後にスペースコラリオンを使わせてもらえるこないだの火曜日に、演出家に無理を言った。「稽古開始前に1時間アップをさせてください。コラリオンで手足を伸ばせる場所を1時間ください。そのあとセリフ合わせをさせてください」演出部はコラリオンさんに予定より1時間早く開けてもらえるようお願いしてくれて、コラリオンさんは17時に開ける予定のところを16時にしてくれた。ありがたいことで、自分はわがままなやつだ。

そうやって十三に余裕をもって着いてから駅前の松屋で牛丼を食べて、ゆっくりコラリオンに向かって、場所に自分が馴染むようにゆっくりアップをした。でもどうにも気持ち悪さは抜けなかった。いったん苦手意識を持ってしまうと抜け出せなくなるみたいな感じで、自分はメンタル弱いなあ、とほほ、なんとかしないとなあ、と思いながら、舞台上で適当に動きながらなんとなく読み合わせをした。言葉を喋れている感じがしなかった。

でもそうやって舞台を使わせてもらいながら適当に動いている中で、自分がなぜこの場所で落ち着かないのかがだんだん分かってきた。舞台装置として床に置かれているものを目で追って、視線がずっと下にいってしまう。舞台の床材の凹凸と軋みが気になる。普通に立ってるときにすぐ足が変な形になる。手も落ち着かなくなって手を使ったジェスチャーが増える。

そういうことに気づいて、目線と手足をフラットにするように意識して読み合わせを進めて、演出家と解決策を探っていたら、舞台の明るいことと客電が暗いことが気になり出した。そして照明をどうにかする方法を見つけたことで、(そのことでスタッフさんにぼくのわがままを聞いてもらうことによって)久しぶりにコラリオンでちゃんと作品を立ち上げることができた。

なんて自分は不器用な役者なんだ!と今回はとくに思わせられましたが、時間をかけていっしょに解決策を探らせてもらえる演出部と共演者のみなさんに恵まれていてよかったよかった、と思うばかりです。闇雲にならずに、諦めずに、納得いかないことにはとことんこだわることができて、周りの環境には感謝しかない。あとはしっかりいい上演ができるように、自分の仕事に責任を持って、がんばるんばです。

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上演まで後1週間

前回「上演まで1か月」という稽古日記だったのに気づけばもう1週間です。
いよいよ大詰めです。
今日の稽古では音響の合田さんが作った仮音源を稽古に加えて稽古を実施しました。
今回再演される「点転」では、会場も色々な音に特徴のある会場になっております。
この会場ならではの音を劇場で録音し、劇中の音声へと合田さんが作り直しています。

また、囲碁に似た競技「点転」は囲碁同様に「打つ」競技です。
すなわち「点を打つ」競技なのです。

点を打つと、どんな音がすると思いますか?ぜひ劇場に聞きにいらしてください。


また、明日2月21日の日曜日に、今回後援である関西棋院さんの棋士さんたちが参加されているYoutubeチャンネル『ごやねんチャンネル』に点々の階から数名、出演させて頂けることになりました!


【ごやねんTwitterより抜粋】

囲碁のことを知ってから「点転」を観ると面白さが高まること間違いなしです。
(自分もごやねんさんのYoutubeで入門講座動画を見させていただきました…(笑))

こちらもぜひご視聴頂ければと思います。

埼玉公演に向けて稽古が始まりました  湊游(演出助手)

大阪公演千秋楽からちょうどひと月、映像配信も開始され着々と次に向かって進んでいます。
今日は大阪公演まで創りあげたものを一旦リセットするための稽古になりました。

なぜそんなことをしたかというと、
今回のツアー公演、大阪と埼玉で上演空間があまりにも違うからです。


埼玉公演が行われる場所なのですが「進修館 小ホール」という所になります。(下記URLより)

https://www.shinsyukan.or.jp/guide/f1_shouhall.html

収容人数…200名。
とんでもなく広い空間です。


大阪公演を行ったスペースコラリオンは、比較的小さな部屋に沢山の物が溢れている、
いわば倉庫のような空間で、俳優のアクティングエリアもかなり限定されていました。

進修館 小ホールは、反対に物は少なく広大で天井もすごく高い。
俳優が飛んだり跳ねたり走り回ることもできます。
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こうなると会話をする人同士の距離から高さまで全然違いますし、移動方法も変わります。(大阪公演ではできなかった「走る」ということが可能になったり)

だから同じ台詞を喋っても、言葉の意味が変わるし、登場人物の動き方も変わる。
声のボリュームも高さも変わる。


しかし、そうは…思っていても、
昨年から続けて数ヶ月稽古したものが身体に定着しています。
意識していないとその定着したものが、どんどん出てきてしまう。


そこで上演空間や大阪公演をリセットすることについてみんなで共有してから稽古に臨みました。

何度かシーン稽古を行っては止めてを繰り返していくと、だんだん俳優陣の動きや声が変わってゆきました。
稽古の始まりと終わりとでは演技が全然違っていたので、ここからまた1ヶ月半後にはどんな作品になるのかとても楽しみです!


ちなみに、リセット前の大阪公演はどんな模様だったのか?
こちらから大阪千秋楽の配信映像がお買い求め頂けます。こちらもどうぞよろしくお願いいたします。

https://xxnokai.stores.jp/items/603dc1b1c19c456aa4604a85


稽古日記 「ニューなんちゃらの日々」大西智子


ニューなんちゃらの日々。
ニューがつくのにいい感じではない。
私は久々の稽古で緊張ぎみ。
南埼玉公演は大阪の公演会場よりもうーんと広い。

で、空間の話、広いから全面動き回るとアスリートなみの運動量になりそう。
私はあまり動かない役なのだけど、ちょっと歩いてみたが良くなかったよう。

広いからって無駄に動かない!反省。
劇場けいこで客席から観たときに誰もいない空間込みで美しい場所だなと感じた。余白を恐れない。

白くて広い空間に5人がパラパラと立ってたり寝てたり。観客の皆さんは神々の気持ちで見下ろすのだろうか。
点転棋士役の佐々木くんは元々動きが多い役なので、今回は新たな点転技が見られるのだろうか楽しみだ。

架空の競技のフォームについて考えるのは雲を掴む話、見てるのは面白いけど大変だろうな。

ニューなんちゃらの日々はどんよりとしていますが、雲間に明かりさす、演劇になると嬉しいです


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新幹線の車窓から(新免)


埼玉は進修館を目指し、新幹線に乗っています。
例の唾液の検査、提出してから結果が出るまでが最近で1番のじりじりした時間でした。やーね。

今回の場所は点転シリーズで1番広くて1番窓が遠いので、窓女としてのアイデンティティが確立しにくかったのですが(私の中で)、別に彼女は窓が見たいのではなく、窓の先にあるものを見たいだけなのだと思うとしっくりきて安心しました(私だけ)。
本当にちゃんとは見えてなくても、彼女にはわかる光景があるのだと。

こうやって新幹線の窓から見える光景だって、人によって想いを馳せる対象は全然違うんだろうな。
私は今田んぼを見て岡山に帰りたくなっています。今年こそは帰れるのかしら。

久野さんの描く戯曲は、おんなじ場所にはいるけど、たまたま出会っただけでみんなで協力して一つのものを作り上げたりはしないし今後外で見かけても声はかけないのだろうなという人たちが多い気がします。終着点ではなく、通過点、もしか特異点で出会ってしまった人たち。
でも、たぶん、ふとした瞬間に思い出してしまう会話をかわしてしまった人たち。

今回もそうなんじゃないかなと思っています。
あなたにとってどうか、ふとした瞬間に思い出せる物語になりますように。

2021 くちばしの階 音声配信公演のご案内


2021年、めずらしく春先に公演を終え(点々の階『点転』)た階は、くちばしの階として、もうひとつの小さな企画
<音声配信公演>を始めました。
まずは3か月間にわたり、小さな、音だけの物語を劇場ではなくお客様のお手元に届けます。

詳細はこちらから↓
http://floor.d.dooo.jp/kikimimi/

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