
演出助手の田宮ヨシノリです。今回は点々の階の稽古場を出来るだけ見たままに書いてみようと思います。
ここに書くことは、当たり前のことかもしれないけど、当たり前のことが大事だと思う日々です。
稽古開始が13時だとすると、12:15には稽古場に入り机を移動させたり、窓を開けて換気したり、諸々の準備をする。
なぜならば12:20を過ぎる辺りから、アップをするために、ぞろぞろと俳優が集まり始めるからだ。それまでには机をどけておきたいと思うが、たまに俳優が自分よりも早く入ってアップをしている時もある。
俳優のアップはとても入念で、毎稽古30分ほどの時間をかけて、ストレッチから発声まで、丁寧に行う。
13:00前になると演出の久野さんが来ていて、稽古が始まる。
今回は再演という事もあり、セリフはもう既に入っている状態から稽古は始まっている。
稽古はいつも基本的に頭から行う。そしてシーンを細かく返したりしない。なので、一時間ぶっ通しでやる事がざらにある。
というのも、稽古を止めるというのは、今そこで起こっている現象を止めてしまうことで、久野さんはおもしろいと思っていたら基本それを継続させる。だから、気づいたら全通ししちゃってる。
大抵の場合、一度に集中して、シーンを長く行い、長めの休憩をとる。その時に、久野さんが俳優それぞれのところに行って、「何をしたんですか?」と問う。そして、俳優と話しながら、今の稽古で起こった現象が、どうして起こったのかを考える。
そして、またシーンを長く行う。それの繰り返し。しかし、今のところではあるが、台詞の言い方の指定や、動きの指定などはまるでないため、シーンは繰り返しても意味的には全く違うものになる。
そして、また今何が起こったのかを一緒に考える。
階の稽古はいい意味で俳優ありきだと感じる。久野さんにとっては、脚本に書いてあることや内容よりも、目の前で繰り広げられている音と身体の応酬が重要で、それを楽しんでいる。(もちろん内容も重要視しています。)
今回の座組は皆さん常連の出演者さんで、演出家との信頼関係が育まれており、だからこそ疑うことなく、今何が起こっているのかを大切にしているように感じる。
久野さんが、「私が脚本に書いてないことが起こっている。」と楽しそうに言っているのがとても印象的で、僕は演劇の懐の深さと俳優の底力を、今一度思い知っている日々です。