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稽古場日記・番外編1・・・オーディション且つワークショップ且つ稽古(中村彩乃:出演者)


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「今日は稽古という形ですすめますね。」
という久野さんの言葉から、6/24のオーディション且つワークショップは始まりました。

というのも、階の現場では何かをつくるために稽古をするというより、何かをしてそれが何故起きたのかということをフィードバックして作品の全貌を少しずつ見定めるといったことが行われます。そのため、その手法を参加者の方に体験していただくことが一番互いを知ることの出来る切り口ではないか、と、このような形式に落ち着きました。

初回は20代~40代後半と様々な年齢の方がお越しくださいました。男女比はほぼ女性という偏りはありつつ、しかしそのようなことを感じさせない豊かな稽古場になりました。

さて。稽古ということで、上演台本を手に持ちいくつかのシーンを演者を入れ替えてやってみるという流れに。
最初は今公演で俳優参加の七井さんを主軸に、順番にシーンをまわしました。短いシーンながらも参加者の方々が個々に持つ特性というか持ち味と言いましょうか、そういうものが見え、互いの人となりを少しずつ見るといった様子でした。
シーンを演じ終えると、身を乗り出して観ていた久野さんから「今、何をしたんですか」という言葉かけが。返答は人それぞれながらも、どちらかというと、「○○をしようとした」「○○な人かなと思って」といったような、他者にどのように働きかけるか、といったことを考えていらっしゃるかたが多かったように感じます。その解釈の違いを知り、「同じテキストであるのにこうも違うのか!」といった具合に、ある時は笑いが、あるときは唸り声が、ある時は驚愕の悲鳴が上がりました。いやはや、興味深い。人の数だけ芝居は生まれるな、と改めて感じました。
それを受け、久野さんから指示がとびます。
「もう少しテンポをつめて」
「さっきよりゆっくり。間ももっと取って」
「よく自分が出す音程があると思うのですが、それ以外の音を出してください」
といった非常に具体的なものから、
「相手がどうでるかよく見て」
「常識的に読み解いてとかでなく、好きなことをして」
「ナンパをする下心溢れるゲスイ感じで」
「こんな奴いないだろう!みたいな」
(「火をはいてもいいですよ」という言葉かけもありましたが、さすがにそれは行われませんでした。ただし、同等の衝撃を与える芝居にはなりました。人間の可能性とは…)
といった、字面だけ見るとぶっ飛んでるようなものまで。とにかく行われるシーンを見て、「何がおこったのかのフィードバック」と「それを踏まえての、新しいその人なりの攻め方の提案」が久野さんを中心に繰り返されました。

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私の主観かもしれませんが、そのような問いかけややりとりを繰り返すうちに、演じる方々の芝居が(テイストはどんなものであれ)“相手をよく聞く・よく見る”ということを最初の方より繊細にやってらっしゃる傾向にあったように思います。実際、後半に近づくにつれて久野さんの「今何をしたんですか」という問いかけに対しての返答が「なにも考える余裕が無くて、必死でやった」「相手の方がこうしてきたから…」といったような、働きかけのベクトルではなく、起こったことに反応するベクトルに変化していました。

また、演じている人間が「ええ!?そうくるの!?何!これ!?」と余裕のない芝居をしている時の方が、面白いことがよく起きたというのも印象的です。思ってもみない展開になったり、何故か会話が凄くかみ合っていたり、観ている側に笑いが起こったり発見が多かったりと、魅力的なシーンが出来ることが往々にありました。これは、相手の行動に対する対応を必死にしないといけない状況が、“相手をよく聞く・見る”ことを自然にさせていたためにおこったことではないでしょうか。
演じるときに自覚をもってコントロールすることも必要ですが、やはり人間と人間が対面したときに基盤として行われるのは、相手の存在に対応することです。それが行われている瞬間を立ち上がらせるためにどうするかを、知覚的にと感覚的に考えて言語化して探ることを、階の現場では大切になさっているのだと感じました。

また、興味深かったのは、一部の参加者の方からは「今までは同じことをビシッと再現することが良い俳優の前提であると思っていたから、驚いた」という言葉があったことです。
(…以下は、その言葉を受けて行われた会話を私なりの解釈した文章。)
「再現性」という言葉は難しいもので、確かに演者も台本も舞台も起こる出来事(シナリオ)も、舞台ではめったなことが無い限り本番中は変わりません。そういうことを踏まえると、作品のクオリティの安定感を求めるのは大切な考えです。
しかし、例えば「天気」「俳優の体調」「客席にいる人」という要素は日々変化し、微々たるものやもしれども作品に影響します。芝居の再現性という概念は、もはやその人の持つ演劇哲学まで食い込むようなものになるので十把一絡げに否定も肯定もできませんが、少なくともそのような「舞台であるがゆえに起きる変化による微々たる影響」を無視してもとめる再現性というのは、いささか舞台の生の魅力を少し軽減してしまう勿体無さがあるのではないではないでしょうか。


演出助手の斜さんによれば、全部で30テイクものシーンが創れたそうです。人数とシーン数は限られていますが、出来るシーンは無限大。時間のため、まだまだいろんな可能性が探れそうではありましたが終了に。初回オーディション且つワークショップ且つ稽古は、ホスト側の階メンバーにとっても、今後の可能性や広がりを大いに発見ができました。

7/12初稽古です (七井悠:出演者)

12日に京都の東山青少年活動センターで、点の階の初稽古がありました。

前回の「recycle缶の階」から半年間諸々の準備をしてきて、の稽古です。

稽古初日 というか稽古に入る時はいつでもなんですが、「ちゃんとできるのだろうか・・・」という不安があります。
「ちゃんと」が何なのか。恐らくはきちんと演技が出来るだろうか?、ということなのだと思うのですが、いかんせんどれだけ自分が準備をしていってもそれは担保されていません。
私が稽古前に色々考えていったことは、ほぼ毎回稽古では役に立たないというか実現しません(私の頭が悪いからかもしれませんが)。

共演者や、稽古の場(空間)、稽古場に流れる雰囲気 そういった自分ではどうしようもないものに対して、どれだけ寛容であるか・開かれているかが重要なのではないかと思っています。そういったものに影響されて、稽古場で変わることが必要なのでしょう。

12日ですが、決定している出演者と参加希望の俳優さんで、動きながら台本を回して読んでゆく ということをしました。

初めての稽古だったので、まだ色んなことがぎこちなかったですが、読み進めるうちに互いの関係性が、台詞にとらわれず見えてくる瞬間が何度かあったので、とても良かったと思います。

舞台に椅子を置いて演じてみたのですが、椅子があるだけでその椅子にとらわれてしまい(座る、乗る、椅子をはさんで対峙する・・・)ます。そこに椅子がある必然を、俳優が作っていかなければならないのでしょう。

別に椅子じゃなくてもいいのかもしれませんが。

すのもの…稽古二日目(斜あゐり:演出助手)


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7/23 涼しい朝です。おはようございます。斜です。

昨日は、点の階二回目の稽古でした。
冒頭のシーンを何度か返しました。

稽古は始まったばかりなのに、もう既ににょきにょきと新しい可能性が出てきてます。進み具合、たとえて言うなら卵の殻が割れるかな?ぐらいを予想していたのですがぐいぐい進んで、なんかもう孵化して服着て二足歩行してます。(全然伝わらないなこの例え)

『どれだけ持ち込まないか』相手とのやりとりを、なるべく、素のままでやることに重きを置いた日でした。
と言うと、『作り過ぎないでね』みたいな意味かなと思うのですが
そうではなくて、ほんとに、なんにも、準備しない。
この人は何故登場したのか?さえ、誰も気にせずにシーンに取り組むというのが新鮮です。
ざっくり言っちゃうと、出たとこ勝負☆です。
あとからわかるから、いいのよ(*^^*)! by 久野さん
………う、うん!!(^◇^;) ←斜

役としての素のままで『ただ居るだけ』の説得力に至るために、俳優さんひとりひとりに合ったいろんな道がある(と思います)。
久野さんの戯曲では、出演者みんながだいたい同じ道を通ってそこに至るんですね。たぶん。

特に昨日は、七井悠さんと中村彩乃さんと藤谷以優さんの三人稽古だったので
階常連の七井さんと、階二度目出演の彩乃さんに翻弄されて
くるくる変わる以優さんがすてきでした!
ここからまた予想外な方向に曲がったり、他の俳優さんも巻き込んでアチコチ行くのが
とっても楽しみです。

◆斜あゐり◆

部屋に入ること

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今日は。中村です。
皆様暑い日差しに負けず元気でしょうか?
私は、昨日の稽古でバービージャンプ・スクワット・ダッシュを繰り返した結果今朝猛烈な筋肉痛に襲われ、階段の登り下りのときに膝が笑ってて手摺にしがみつかないといけないという状態を除けば、すこぶる元気です。 日頃の鍛練を怠ると、こういうことになります。


さて。上の文だけを読めば、何か殺陣やら超絶パフォーマンスの練習をしていたかのような気にさせてしまうかもしれませんが、昨日は「部屋に入る」ということをひたすら極めていました。

今回のお芝居はほぼ全員が部屋に入るシーンがあります。その際の「部屋に入る人間」の可能性を探っておりました。


・声を極端にでかく(小さく)出す
・走り回る等をして息を切らす

といった深く考えなかったり余裕のない状態の方が、逆に広がりがもてました。

また、佐々木さんの「水星」
三田村さんの「やたら触る人」「腰が低いがうざい」「塩対応」
といったパターンも(いずれも衝撃的でした)、中の人に大きく影響を与えていました。

部屋の中に入る人は、部屋の中の空気を
ある意味読まずに入ることが出来る人です。

また、部屋に入る人は、部屋に入るまで部屋のことは知りません。自分の思う部屋を作るのではなく、あくまで部屋に「入る」ことを忘れてはなりません。

入る前・入る瞬間・その環境(いる人の数)に変化がおこった部屋、この三つの兼ね合いの可能性が広がると、面白くなるのではないかと思います。


くるくる変わる、稽古4日目。藤谷。


御機嫌よう。藤谷です。
今日は良き天気でしたね。焼けやすいわたしにとっては嫌な天気でしたが。でも気持ちは晴れやかですね。

そんな晴れやかな気分で迎えた稽古4日目。
今日は自らの人生と演劇との繋がり、音の大小や視野の広さによる他者への影響、会話中のスイッチの切り替え。そして昨日と引き続き彗星(水星?)の気持ちでの演技について考えた稽古でした。

不思議なもので、人は少し離れて座っている時、大きな声で話されるより小さな声で話された時の方が自然と聞く体制になってしまうのです。必ずしも発することが届ける最善策というわけではないということを学びました。

階の稽古は毎回得るものが多いです。硬い外壁をスプーンで切り崩されて新しい材質の何かを放り込まれる感覚。とても楽しいです。

あと約半年でどのような階になるのか。全てが終わった時そこに何があるのか。

ぜひ見届けに来てくださいネ。

写真は隔てられたわたしたち。
佐々木さんは電車が異なるため居ないのです…。

なんだか演技が出来なかった(七井悠:出演者)

ちょっと遅くなってしまいましたが、8月8日の稽古場日記です。

稽古場に行ったのですが、前半 全く演技が出来ませんでした。

何をしても、面白くない。

何かをなぞることしかできなかったので、新鮮味?がありませんでした。

身体が冷たい とか 鈍い という感覚が当てはまりました。

後半は、少し自由に稽古場に居れた気がします。

でも、大変な時は自分に固執しないほうが良くなると感じました。

饒舌な沈黙(にさわまほ:制作助手)

Recycle缶の階から引き続き参加しています、制作助手のにさわまほです。

点の階、稽古場初参戦。
去年よりも稽古場の空気がぐっと若い!俳優の平均年齢が下がったからか、人数が増えたからか、たぶん両方ですね。

去年、はじめて階の稽古場に伺ったときは「なんて静かな稽古場だ…」と思ったのですが、今日はちっとも静かじゃなかったです。たぶんいい意味で。



てのひらの向きだけで印象が変わること、ふだん意識していない声の出し方、ああだこうだと皆で議論しあうような稽古場はとても活気があって、台詞は活字だったときよりも数倍あざやかでした。


点の階『 ・ ・ ・ 』

沈黙の時間が台詞のある場面よりも饒舌に感じられる階の作品ならではのタイトルだと思います。

てんてんてん、の先にある物語を観にきませんか。

ただいま本チラシ絶賛製作中!

セリフの意味にはとくに興味ありません(斜あゐり:演出助手)

これが昨日の稽古場で個人的に一番ヒットした発言です。
発言主は演出の久野さんです。

すごいさわやかに言い放っておられた。
惚れる。

てなわけで昨日は意味なんか関係ねえんだよ!ていう稽古でした。
会話劇なのに。笑
見てもらったほうが早いですね。



始まりは突然に


こうなって


こうなって


こう。

藤谷さんと七井さんは斜と一緒にサンバも踊ってくれました。
『すみません』というセリフが『すみません』の意味を持たなくなるまで粘った、と、思います…!
次のステージに進む兆しが見えました。
藤谷さんがリズムの主導権を握る楽しさに味をしめた瞬間、よっしゃあーきたぁー!!って感じでしたね。
ええ、はい、会話劇なんですけども。

セリフの意味は観ている人のためのもの。
こっち側(演者)には、それよりもずっと大切な『やりとりをする』という仕事があります。
サンバのリズムに、やりとりをすることの根本的な快楽に繋がる要素があるのだとしたら
ちょっとは役に立てたかな?
無駄なものなんてないんですねえ。しみじみ。
次の稽古もたのしみです。

◆斜あゐり◆

昆虫系と両生類とまた別の何か。(藤谷)


空は晴れているのにすずめも鳴いているのに雨が降った今日。
本日は4人で某音楽室での楽しいお稽古でした。

今日は努力クラブ終わりブルーエゴナク途中の佐々木さんの毒蜘蛛加減を感じた1日でした。

意味を持った言葉を使わず、部屋に入る人と部屋にいる人がいかに理解し合うか?という実験をしたのですが、人によっての愛情とか信頼とかの表現の振り幅の凄さを発見できました。

今度から佐々木さんのことを毒蜘蛛系男子と密かに呼ぼうと思います。良い意味です。

では。

2016.08.16

この写真ではわたしのが昆虫系?

然としない然(中村彩乃:俳優)

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(写真:紅たえこ)


こんばんは、中村です。
皆さま、地球がどうかしちゃったんじゃないかい?というくらい暑い日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、こんな暑い日でも稽古は良いものです。
最近の稽古は、「台本という一つの枠組みをいったんおいといて、なんか広げてみよう」期間に入っています。

ところで、台本というものは不思議なもので。
例えば、病院のお話しで看護師と患者の会話が台本にあるとします。役者は当然、病院という場所で話しをしている然とした、看護師然とした人と患者然とした人をしようとするでしょう。そりゃそうです。そう書いてるのだから。
しかし、この「然」というもの、なかなかやっかいなものでして。
(以下は、私の主観が主成分の話なのですが。)

上記のような「然とした」、というものは確かに安心してみることのできるものかもしれませんが、如何せん何か無難で面白味にかけて勿体無いと私は思います。また同時に、自分の価値観に基づく「然とした」ものを強く描きすぎると、どうもその場に存在して反応するということに鈍くなる傾向があります。

点の階にも勿論台本はあります。上記の病院で例えたような明確な情報もト書きにあります。しかし、より「その場で起きることから、芝居を成り立たせるための要素を見つけ出す」ことが出来るように、一番最初に書いたような「いったん広げてみよう」の稽古を挟みます。
先日の私がした具体例としては、木星人・水星人といった、なぜか宇宙の力拝借ラインナップになりましたが、七井さん、藤谷さんもそれぞれで何か広げることへの挑戦をしていらっしゃいました。

台本を信じるところと、それ以外のところ。
俳優がするということの意義と、そこにただあることの意義。
こういった矛盾が芝居にはしょっちゅう生じ、またそれに答えはないので、なにやら禅問答をしているかのようなもどかしさもあります。それをひっくるめ、どうも芝居はおもしろいです。
この矛盾の間で自分のボリューム(塩梅?)はどこかを探ることが、稽古場での俳優の仕事の一つではないかと考えます。


稽古稽古 2016.8.23(濱田真輝:舞台監督・美術)

今回の企画初記事です
公演では舞台監督、美術やります
濱田真輝です

稽古では、七井さん、佐々木さん、藤谷さんというラインナップ
主に七井さん、佐々木さんのシーンでした
2人のやり取り、まだお互い掴みきれてないような遠慮しあってる感じでした
たまにはまるところがあり「おっ!」となるところもありました
これがどんどんはまってくるとかなりおもしろいのではないかと思いワクワクしました

藤谷さんも混じり3人でのシーンたまにニヤッとするところもあり面白かった

前回のメンバーに追加参戦の佐々木さん、藤谷さんいろいろやってくれそうです!

稽古見ながら美術を妄想しつつ、話しながらいろいろアイデアが出ました
こちらも面白くなりそうです
役者に負けてられませんね




稽古場日誌 8/24,8/25(三田村:俳優)



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はじめまして。ここに書くのは初めてですね。

今回俳優として参加させて頂く三田村啓示(空の驛舎)です。
今、来月にもうひとつ本番を抱えている身なのでこちらの稽古にちゃんと合流するのは来月以降になります。
というわけで、僕の点の階稽古はまだ2,3回目。
皆じっくりと試行錯誤中です。実験場。

そもそもスロースターターであるし、改めて、やっぱり早くホンを離さないと・離して自由になりたいと思った次第、です。僕は。むー。

あ、25日のノンバーバルエチュードは大層面白かったですね。

というわけで皆様よろしくお願いいたします。

君、それは尻尾だよ(中村彩乃:俳優)

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夏の暑さも少しずつ和らいだと思ったら、「とみせかけて」と言わんばかりにまたジリジリと暑くなってきましたね。殺す気かな?
どうも、中村です。

さて、稽古でした。
本番が迫っている佐々木さん(ブルーエゴナク「ラッパー」皆さんどうぞ観に行ってください。)も、本日はこちらに来ていただき通し稽古をしました。

通し稽古ですが、しかしまだまだ「自由に」ということを大切にしております。

個人戦績としては、
七井さん…回りの様子との兼ね合わせをみて、一歩引いてるけど的確なタイミングでぶちこむ。
佐々木さん…起こることを見て会話ができていて、第2形体突入。(by久野さん)
藤谷さん…何か起こすために動くのが半分、何か起こるから動くのが半分。(階では後者を大事にしてる。)
中村…何か起こすために動くのが多かった。今、色々試してる。

といった具合でした。


以前から話題になってる「持ち込む状態」とは何かを最近よく考えるのですが、未だに何か自分で掴めてません。
しかし、佐々木さんやいうちゃんが楽に反応してたのはわかりました。
あと、サンバも良いです。サンバは良い。

受けたことを、また返すときの出力の加減なのでしょうか。
難しいことです。

しかし、ぼんやりと「わからないなぁ」とブツブツ言ってもわかりませんので、私はとうとう消去法で考え付く限りのアプローチで稽古をしてみようという考えに行き着きました。
これを、原始的といいます。
体当たり、とも言いましょうか。
ああ、犬が肉を食べたいのに間違えて自分の尻尾追いかけてる状態になってないように、気を付けたいと思います。私が自分の尻尾を噛んで喜んでいたら頭を叩いて「君、それは尻尾だよ」と言ってください。

稽古をしてその場で起きたことを他の人と話すというのは、その「自分の尻尾噛んで喜んでる状態」に気づけるという利点があります。

引き続き、稽古したいと思います。

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あとですね。稽古とは関係ありませんが、このブログを書いてるときに丁度脇田さんに会いました。水玉の帽子と、帽子の柄のTシャツを着てらっしゃいました。脇田さんは帽子が似合うな、と私は思いました。

(写真:紅たえこ)

終わり=始まり。始まり≠終わり。 (藤谷)

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最近稽古場まで自転車で行こうと決めました。
決めた時から雨が多くなりました。藤谷です。

今回は七井さんと久野さんと、ひたすらに物語の始まりについて検討しました。
稽古中わたしは、出会いからの居合いや出会ってからの語らい。
またそれに付随する人が纏う空気の成り立ち。
についてぼーっと考えていました。考えすぎるとキャパシティ不足でわーっとなるなぁとわかりました。

お芝居には終わりと始まりがあって、舞台のうえでは切り取られたその終わりと始まりが観れるのだけれど、その人達(登場人物)は舞台に上がりもしなければ降りてもいないずっと真摯に生き続けているだけなのだ。というごくごく当たり前のことに気づける舞台になりそうです。

とてもお得な早割のご予約が出来るのはあと10日間だけ!です。よければ、是非に。


ではまた。

初めて書きます佐々木です

出演者の佐々木です。
昨日は七井さんと藤谷さんと久野さんと稽古でした。

ずっと使っていた第二稿の台本が更新されて、ver2.5の台本が配られました。
セリフの細かい部分が少しづつ変わっていたりするので、注意深く一字一句に気をつけて覚えていかねば。
ううむ。しかし今まで演劇をしてきた中で今回が1番のセリフ量であることは間違いなく、恐ろしくて震えています。
ううむ。1週間くらい静かな山の中に逃げ込みたい。
あとヒカルの碁を読みたい。

稽古では今はぼくの強化月間ということになっていて、ぼくの演技の悪い癖を治すために時間を割いてもらっています。
ぼくは演劇を始めた当初から演技で会話をする、コミュニケーションをするということが出来なくて、なんとかそこを誤魔化しながら今に至っているのですが、そこを徹底して訓練しています。
こないだの稽古では演出助手の斜さんに教えてもらったサンバを踊りながらセリフを言ったり、昨日はうる星やつらの面堂終太郎になってセリフを言ったりしました。
そうすると舞台に立っているという意識から雑味が取り除かれていい感じになるみたいです。
いい感じになるなんていう雑な言い方をしてしまいましたが、自分でも何かおもしろい変化が自分に起こっていることは感じつつも何が起こっているのか捉え切れてはいない状態です。
またいい言葉が見つかったらここに書こうと思います。
半年間の稽古期間があるからやらせてもらえていることで本当にありがたい。
強化月間、大事に過ごそう。



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お菓子のおいしい稽古場

佐々木です。

佐々木強化月間の2日目でした。制作部のにさわまほさんと中村美月さんが参加してくれての稽古でした。

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『・・・』の稽古場はお菓子のおいしい稽古場です。昨日はわさび味のポテチと7&iの枝豆スナックとチョコボールがありました。ぼくは普段だったらお菓子で腹が膨らむ感じがあんまり好きじゃなくて食べないのですが、点の階の稽古場でのお菓子のおいしさは別格です。七井さんは階の稽古場にチョコレートが必須みたいです。休憩になるとみんなでお菓子を囲んで手が止まらなくなる。そういえばこないだのブルーエゴナクのときに稽古場にあったBBQ味のプリングルスがおいしすぎたから、今度持って行こう。

昨日の稽古ですが、どうもいろいろやってみるも上手くいかず悩ましい時間が続きました。稽古場で出た言葉で言うと、休憩してる。自分と共演者の間に発泡スチロールがあって、相手からの影響を受けないままでいるから気持ち悪い。これはよく自分が陥ってしまう状態で、これではいけないなあと思いながらもどうやって改善すればいいのか分からなくて、足掻いてもどんどん堕ちていくだけで、気持ち悪いまま進んでしまう。昨日もそんな感じで、七井さんの真似をしたり恐ろしい演劇の先輩や憧れの先輩を想定したりしましたが、気持ち悪いまま1時間くらい過ぎていきました。
途中で七井さんが前の公演のときに使っていたメソッドを試してみたらなんとか自分の周りにある発泡スチロールをちょっとずつ減らすことができた。その前と後の状態について稽古場で出た言葉では、「前の状態は相手を見ているようで自分を見ている」「後の状態は呼吸を共有しようとしている」と言っていました。

今日ももうすぐ稽古場に向かいます。

制作日記「聴くこととセリフ」(制作班:中村美月)

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はじめまして。

点の階で制作の勉強をしている中村と申します。同志社大学の同志社小劇場という演劇サークルに所属しています。


先日、点の階の稽古場に初めて行ってきました。稽古場には、久野さんをはじめとする七井さん、藤谷さん、佐々木さん、にさわさんという点の階メンバーがいらっしゃいました。

私は、自分のサークル以外の稽古場、しかもプロの劇団の稽古を見学するのは初めてでした。
緊張しましたが、お芝居に関して勉強することができ、いい経験になりました。

その日の稽古では、冒頭のシーンをやっていました。
まだ、具体的な役のキャラクターが定まっていないようで、役者さんが試行錯誤をして稽古をしている姿が印象的でした。同じセリフでも、言い方が違えば受け手の反応も変わります。台本は先に読んでいましたが、役者さんを通した台詞は、台本から受けたイメージとはまた違うものを感じることができ新鮮でした。演じ方について、いろいろ試行錯誤している過程を拝見することができて、とても勉強になりました。

その日の話題に上がったもの中で、聴くお芝居というものがありました。聴くお芝居をする側は、「聴いている私を観てほしい。」という意識が働きがちであるというお話でした。聴くお芝居をする側は、当たり前ですが台本内容を知っています。つまり、次に話される内容を把握した上で自然な反応を求められます。私は、聴くお芝居ができず、反応が大げさになりがちです。加えて、自分がどう見られているのかなかなか客観視できません。私自身、興味深い話題でした。聴くお芝居について、七井さんが全く同じお芝居はないから、お芝居の全体を受けることが自然な反応につながるとおっしゃっていたことが、強く記憶に残りました。

さて点の階では、9/19まで早割というものをご用意しています。観劇日を決めずにご予約できるという優れものです。ぜひ、この機会に観劇を検討していただけると幸いです。本番ではどのような舞台になっているのか私自身とても楽しみです。


中村美月

ちょっと日数は経ちましたが、9月16日の稽古日記(七井)

久しぶりに稽古場日記に登場しました。七井です。

16日の稽古はおなじみの岸辺で行いました。

佐々木君も日記に書いておりましたように、現在彼の出演するシーンを中心に稽古をしています。特に登場してからの数ページは、そのあとの筋の展開・役の方向性等、作品の全てを変えかねない部分なので入念に稽古をします。もちろんほかの部分もやります。

「佐々木君強化月間」、と言いましても結局は「俳優全員の強化月間」なのだなと、稽古をしていて思いました。セリフを話す佐々木君の状態が変われば、それを聞いている藤谷さんや私の状態も変わり、その変化がまた佐々木君に伝わってゆく・・・ というような相互作用の連鎖?が久野さんの作品の面白さの一つだと自分では思っています。しかも、その振れ幅をどこまでにするのかは、俳優に委ねられている部分が大きい、と感じます。
その時に、言葉を話す俳優は何をするべきなのか? それを全員で見つける作業が稽古なのだなと。

今回佐々木君は(今のところ)一番セリフの量が多いようです。セリフを話す毎に彼の役がどこまで変化してゆくのか。

藤谷さんも(今のところ)一番セリフを聴く量が多いようです。「人のセリフを聴く」というのは、かなり繊細かつ集中力を使う行為です。この日の稽古でも、その場に佇みながら自分の中の振れ幅を変化させていたと思います。

ここに、中村さん、三田村さんが加わったら今度はどうなるのでしょう。

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稽古場日誌 9/21(三田村)

みたむらです。
夜の子供2の本番を終え、約1ヶ月ぶりに点の階に戻ってきました。ただいま。
キャスト全員集合したのは久々だったのでわ。
やはり、、というか当然ですが皆さん台詞入り出してますね〜。

点の階の稽古でいいなと思うところは、追われるように正解を決めて固めていく稽古ではないところです。本番まで4ヶ月くらいまだあるということはそういうことなんだなー、と。
せっかくなので少しずつ、色々なことを試せたらと思っております。

三田村
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9/22稽古場日誌(佐々木)


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この日はぼくと七井さんと三田村さんが仕事で遅れたので、藤谷さんは久野さんと「禁煙」というセリフで何回も子音を捕まえる練習をしていたそうです。
その成果か、この日の最後に渾身の「禁煙」が生まれました。
ひとつの理想の「禁煙」だった、と声も上がるほどの禁煙でした。

ぼくはこの日の最初は無意識にいつも以上に笑顔で演じてしまっていたらしく、無表情でいるという課題が徹底しました。
前にもバイト上がりで稽古場に行ったら笑顔からなかなか抜け出せなかったことがあったので、次回からバイト後の稽古には気をつけなければなりません。
笑顔をしていればとりあえずどうにかなるというのが1日働いただけで身体にクセがついちゃってるんだと思います。
なんと貧弱な精神なのでしょう。
強くなりたい。

物と相手を受ける演技(七井)

またもや更新が遅れてすみません。
9月23日の稽古場日記です。

この日は台本上に指定のある、「とあるもの」を大量に持って稽古をしました。
今までは台詞のやり取りに重点を置いて稽古をしてきましたが、少しずつ台本の詳細な部分について考察する段階
に移って来ています。

稽古場(舞台上)にそれまでなかった物が置かれると、なんとまあ存在感があるのだろうかと思います。
何故そこにあるのか、いつまでそこにあるのか、動くのか・動かないのか・・・などなど。
台詞をしゃべる相手に対してもそうなのですが、舞台上にある物 とも関係を作って演技していかなければなりません。
道具や衣服が、「手に馴染む」「しっくり来る」というのは、そういうこともあらわしているのかもしれません。


演技をしているときは本当に色んなものから影響を受けているのだと思います。
それを少しずつ少しずつ整理してゆく作業が稽古なのでしょう。

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写真は、本と三田村さんです。

言葉ではない言葉 (中村彩乃:俳優)

最近雨ばかりで、これはどうもいかん。

私は雨が嫌いです。先日なんかも突然の大雨をくらってしぶしぶコンビニで傘を買ったのですが、一日でつぶれました。そんな消耗品だっけか、ねえ、傘?

というどうでも良い文章から稽古日誌を書き始める私は、どうも、中村です。


前回の稽古。メンバーは三田村さん、中村と共演はしない二人と、佐々木さん、久野さんでした。

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前半は主にエチュードをしました。
言語と、言葉以外の言語(例えば相手との距離、顔など)の扱いについて考察。

以前「台本なんてお客さんのためにあるんだから」という衝撃のフレーズがでましたが、上記の試みは何というか、台本の存在についての考察と関連すると思うのですね。

あと、久野さんの「台本を読んでくれていたら何してもいい。ぶっとんでても、台本の言葉があればそんなに変な方へいかない」という言葉も印象的でした。

台本は何のためにあるのか。

俳優はある程度決められたものの中にあります。持たないといけない小道具や言わないといけない台詞。でハケなんかもそうですね。ぐずぐず舞台上にいたらお、前はよハケろや、となりますからね。

その決められたこと以外のところで、どこまで意識を巡らせるか。

「俳優が台本を言う」ということがどういうことか、今一度考えたいと思います。


後半は、点転をしながらの本読みをしました。点転は実際にある競技ではない(詳しくはHPへ)し、いうたらとても概念的なものなのですが、なぜか出来るんですよね。
「なんか今やられたと思った」かですとか、「今してやりましたね」とか。その状態を自分だけ思ったのではなく、なぜか相手とも共有出来ている。

この点転という行為も、言葉以外の言語に通ずると思います。


どうも私も色々考え中なのでまとまっておりませんが、非常に面白い稽古であったことは間違いありません。

引き続き、色々考えてみたいと思います。

紙袋(七井)

9月28日の稽古日記です。

前回の稽古場日記で「とあるもの」を大量に ともったいぶって書きましたが、今回紙袋を大量に持って舞台に出てきます。

こんな感じです。
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大量の紙袋を持って戸惑うためには、まずきちんと紙袋を持てるようにならねばならない というようなことを考えて稽古をしています。


この日は和室での稽古でした。
前回稽古で今回の作品に出てくる「点転」という競技をやってみた、そうなので今回の稽古でもやってみました。

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こういう風になりました。点を打っているようです。

この日の稽古で、佐々木君の佇まいが今までと違って見えました。体が落ち着いてきたというか、大きく見えるというか。
たぶん、良いことなのだと思います。

台詞に対してももっとストイックに関わらなければいけないな、と思った稽古でした。



稽古場日誌 9/29(三田村)

毎日雨ばかりで気が滅入りますね。三田村です。

僕にとっては初の高槻での稽古だったのですが、迷いに迷ってなかなか稽古場までたどり着けず計40分程度歩いてやっと着きました。まじ疲れました。
でもとても綺麗な公民館で和室も趣があり、結果癒されました。

演出の久野さんはよく「何をやったんですか?」と俳優に聞いてきます。俳優がよい状態であった時は特に(恐らく)。
こちらも勿論よい状態をキープしたい。勿論それをなぞるのではなく、決して守りに入らずに、、、そのことの難しさを日々感じています。いや、面白さも。まあ僕もたいそうムラが多いと自覚があるので。微妙な日はとことん微妙な人です。
とはいえ、今日は収穫のある1日でした。段々落ち着いてそこに居られるようになったのかなと。

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点転の試合(佐々木)

9月30日は昼間から河川敷で七井さんと台詞合わせをしてから稽古場に向かいました。
大量の言葉を一言一句正確に覚えなければならないということで何度も繰り返していたら、だんだん舌が回らなくなってきて自分が何言ってるのかも分からなくなってしまいました。
雨が降らなくてよかった。
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最近の稽古では、点転の試合のエチュードをします。
この日は初めて藤谷さんと闘いました。
意外だったのですが藤谷さんはとても点転が強い。
終わったあとの感想戦ではやはり中盤までは完全に藤谷さんが優勢で進んでいて、ある瞬間から互角に持っていけた、という内容でした。
七井さんとも戦いましたが、「こないだよりは試合になっていた」という感じでした。
キャスト全員と1、2試合ずつ戦った感じとしては、中村さんとは激しい肉弾戦になり、七井さんとは何が起こるのか分からないパルプンテ試合になり、三田村さんとはこれぞ点転という正統派な内容でした。
点転棋士役としてはこのエチュードでは誰にも負けたくないのですが、藤谷さんという強敵が現れてウカウカしてられんなーと思わされました。

台本を使った稽古では、見ていた久野さんが思いついたアイデアを試してみるとかなりおもしろく、作品がまたひとつ大きく前進した気がしました。
「点転とは演劇である」とか「点転とは人生である」とか座組の中でいろんなものに例えられている点転という競技、あと3ヶ月稽古していく中でもっともっと育てていきたいと思いました。

ロックな例のあれ(中村彩乃:俳優)

中村です。先日は稽古後に私のわがままでラーメンを食べました。美味しかったです。

…やはり冒頭のどうでも良い話はこれくらいの分量がちょうど良いのです。

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さて。先日の稽古では、台詞覚えも兼ねてまず読みあわせから始まりました。この「ロックな読み合わせ(命名・音響の合田さん)」、やはり稽古前にするのは大変良い効果があるようで全員良い滑り出しで立ち稽古に入れました。
何なんでしょう、これは。
立ち稽古のようにやること(ここで部屋に入るとか、ここで小道具を渡すとか)が決まってない状態でするから、相手の話を聞くのに集中しやすいのですかね。
佐々木さんと藤谷さんとしたのですが、お二方とも立ち稽古に入っても輪郭がハッキリしつつ中身は流動的な感じがしました。

また七井さんがお休みでしたので、三田村さんがするときは私が代役を、私がするときは三田村さんが代役といった具合の稽古でした。
自分の役を違う人がしてて、それを相手役として見るって、あまり無い経験ですのでとても面白かったです。(回によって多分全然違うようになるんでしょうな。)
三田村さんの芝居を真似はしないのですが、盗むというかよく観察して、自分の芝居を考えるときのひとつの肥料にしたいです。

自分の役に対してというより、上手くは言えないのですが、何かもっと大きいくくりの中で芝居をしたいと思います。

入ることの必然性。(藤谷)

みなさん台風、大丈夫でしたか?
わたしは運良く被害に遭わずに稽古場にたどり着きました。

今回は佐々木先輩、彩乃さん、久野さん、藤谷での稽古でした。初心にかえり読み合わせから始めて、次に部屋に入るという稽古を繰り返しました。
これがなかなか難しいのですね。普段はなんとなくしていることこそ、舞台で再現するとしっくりこなくなる。
今回はそれがなんでなのかを理解するための稽古、だと思いました。どれだけ自然に入れるようになったか、よければ見に来てくださいませ。

2016.10.05


悩んでいる人は綺麗だった。

稽古場日誌 10/7(三田村)

三田村です。とうとう10月に。
しかし、あまり涼しくなりません。いや、ちょっとは涼しくなったとは思うのですが、なんやねんはっきりしてや、て感じです。

昨日今日は昼間に京都での長時間稽古でした。

キャストが全員集合した本日の一番のトピックは、ダブルキャストの私と中村嬢が同時に出て来てやってみたことだったのではないでしょうか。
最初は笑いを堪えられなくなるくらい面白かったのです。だって、自分とほぼ同じようなことを喋るひとがもう一人いるのですぜ。
でもただ面白かっただけではなく、たぶんお互いに役としてそこに居るためのヒントを得た気がします。このダブルキャストはただ単純に同じ人物を二人でやる、ってわけではないので。
お楽しみに。
写真は稽古前の風景です。

6日及び10日の稽古日記(七井)

だんだん肌寒くなってきましたね。
稽古場日記が遅筆の七井です。(7日の稽古場日記は三田村さんが既に書いておられるので、ちょっと時系列がややこしいですが。。)

6日の稽古は京都で長時間の稽古になりました。舞台の原寸に近い大きさの稽古場だったのですが、空間が広がるとそこをきちんと把握しないといけないなと思わされました。普段から近い距離でのやり取りに慣れてしまっていたため、距離が遠くなった時のその場の居方が、よくわからなくなってしまった。
公演を行う京都芸術センターの講堂は、中々に大きいところなので出来れば下見をしたい 等と思っています。

稽古_2750
写真は三田村さんと佐々木君。三田村さんはこの日、「クリケット」と書いてあるTシャツを着ていました。
佐々木君は独り台詞の扱いについて苦戦していました。ある、動きをしながら独りではなく多数に語りかける。それを同時に処理するには何が必要なのでしょう。


10日は打って変わって和室での稽古になりました。広い空間からいきなり狭い空間へ変わったことで、思いかけない良さ?が出た稽古でもありました。
広い場所を経験しているので、皆演技が「大きく」なっているように感じました(大味 という意味ではなく)。
大きいということは、受けやすいということでもあるのでそれまでになかった反応が、それぞれに出てきていました。
場所との関係の作り方は、とても重要なのではないかと思います。特に今回は、講堂という趣のある場所が舞台になるので。


物語がはじまっておわる場所(斜)

10/11の稽古日誌です。

久しぶりに稽古に参加しました。いろんなことが変わっておりました。

根本的に、そこからひっくり返すのね!とニマニマしてしまうような試みがおこなわれていますよ。
この物語は、この場所で始まるのだあー。と斜はふむふむ。(出現頻度が低すぎて追いつけていないのかもしれません!)

昨日の七井さんは(役の上で)とげとげしていてすてきでした。相変わらず堅実な企みをしておられます。
中村さんはおっとり。揺るがないものがある感じです。私はそれもいいなぁと思いました。でもご本人は不満だそうなのでした。次が楽しみです。
三田村さんに初めてお会いしました。いぶし銀のたたずまいでした。禅問答のような名言をいただいたので、咀嚼します。
佐々木さんは、いやこれヤバイでしょ!ホンモノなんじゃないの?ていう感じになっていました…説得力が段違い。

そう、そんな佐々木さんと、お手合わせしていただけたのですよ!何を?点転を!!
こんなビギナーの私が、おそれおおい…と思いながら、精一杯点を打ちました。
開始3分ほどで一本負けしてしまったので、次回は必ずリベンジしたいと思います!
斜でした。

意思を持つ(佐々木)

昨日は大阪の岸辺で稽古でした。
最寄駅の正雀の駅員さんがとてもいい人です。
前に電車の中で携帯を失くしたときに見つけてくれました。

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昨日の稽古はぼくにとって驚きの多い内容でした。人生変わるかも、と思いました。
大袈裟でなく。
ぼくはどうやら、芝居中の表情、感情の変化のルールが見えないらしい。
そこでそんなに嬉しがるの!?となったり、そこでそんなに嬉しがるならここも嬉しがるはずなのに何で悲しむの!?ということばかりらしい。
それはひとつには、どうやらぼくの表情に意思がない、伝えたいという欲求がない、どんなふうに見られたいかという計画的な考えがないのではないか、という話を昨日はしました。
だから芝居の会話やコミュニケーションが成り立たない。
これはぼくが演劇を始めたときからずっとできずにいることなのですが、その問題の核心を突かれたような気がして目から鱗でした。
じゃあぼくは今まで10年近くのあいだ伝えたいという欲求のない芝居をしていたのか、コミュニケーションの成り立たない芝居をしていたのか、それはそもそも果たして芝居なのか、ぼくが10年近く演劇だと思ってやってきたのは演劇じゃないのかもしれない、じゃあ何だそれは。
点の階の稽古を始めたばかりの8月ごろに久野さんに「人は楽しいことを伝えるために笑うんだよ」と言われて、ぼくにとってその考え方は大変ショッキングだったことを思い出しました。
ぼくは楽しいから笑う、腹が立ったから怒る、というふうにしか考えてなかったので。
久野さんは「佐々木くんは全然伝わってないって思ってたことが伝わってるから『伝わってたんだ!』とびっくりする」とよく言いますが、それもたぶんぼくが伝わってるよと相手に伝えようという意思がなくて、表情にも出ないのが原因なんじゃないか。
そのように自分のことを分析していくと、なんじゃこの気持ち悪い人間は、でも自分のそういうところが案外好きだからなあとも思います。
でもそんな気持ち悪いやつはやっぱり嫌だし、変わったほうが作品もおもしろくなることは目に見えているので、変わってやろうと思います。
これからぼくは伝えたいという欲求を持ち、表情に意思を持ち、どんなふうに見られたいかを考えていくことにします。
そのための訓練として鏡を見ることをお勧めしてもらって早速試しています。
変わりたいけど変わるの恐いです。
がんばります。

初心に忘れるべからず(中村彩乃:俳優)

こんちには。すっかり寒くなってきました、熱燗が美味しい季節ですね。
しかしパンケーキを食べました中村です。
節操がないとはこのことです。


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さて稽古でした。

最近どうも私が登場してからの一連がイマイチ動かないとうんうん悩んでいて、今日の稽古もなんとなく同じ現象に。
しかも、久野さんではなく私が稽古を止めてしまうという暴動も起こしてしまいました。
台本の構成上、私(俳優)が何かしなくても良いのですが、いかんせん、何かしようとしてしまう。

これは
私の比較的強い自意識であったり、
なんとか場を持たせないかん(そんなんせんでも大丈夫だからええんやけど)焦りであったり、
と、まあそういったあれやこれやが絡み付いて、なかなか素直な反応が出来ない部分がありました。

で、ただ真っ直ぐ立って、真っ直ぐ変に抑揚をつけずに話す、ということをしてました。

私は放っておくとドンドン自分で何か余計なことをしまくって、それで回りが見え難くなってまた余計なことをしてしまうという傾向にあるのですが、まさにそれの予防策というか。

棒立ちで何もしない(思考はする)と、よく周りが見えるのですね。

私からすると「あまりに情報が少ないんじゃない?大丈夫?」なのですが、見てる人からすると、逆に情報量が多いとのこと。

今書いてて思いましたが、これ去年も似た課題言ってましたね。人は1、2年でそうガラリとは変わらないのだと反省しました。
初心に戻ります。

そこの芝(場)に居たいからと思いました。

ゴジラにならないように(佐々木峻一)

だいぶ遅くなってしまいましたが10/15(土)の稽古場日誌です。

この日は役者は七井さんとぼくの2人だけの稽古でした。しばらく2人しか喋らないシーンが続くので、そこを重点的に稽古。ぼくは引き続き、表情に意識を向けて稽古。やるべきことが多すぎて途方に暮れつつハードルの高さに燃える日でした。

タイトル「ゴジラにならないように」はシン・ゴジラを見た久野さんがよくする例え。点の階の稽古場では、役者が自分の中だけの原動力でアクションする状態を「ゴジラになってる」と呼びます。演者がアクションをする原動力がじっさいに舞台上で起こっていることへのリアクションとしてある状態を点の階は目指して試行錯誤しています。舞台に立つ上で当然の状態だと思っていることですが、いざ意識して突き詰めようとすると大変に難しい。

稽古が終わってから飲んだビールが大変においしく、頭を使った稽古をしたんだなと七井さんと久野さんと話しました。「もっとビールがおいしくありたい」というこれは遊劇体の大熊ねこさんが昔ツイートしていたぼくの好きな言葉です。とてもストイックな言葉だと思います。ぼくももっとビールがおいしくなるように稽古していきたいです。

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写真はいつかの試行錯誤中の稽古です。

わたしなりの食パン


なんだか最近尻尾を追いかけていた藤谷です。尻尾を追いかけるとは中村さんが前書いてらしたことです。過去の記事にございますので良ければそちらも合わせてお読みください。

最近サンバの熱い心を取り戻せなくて、何も起こせないことが続いていたんですけれど、そんなわたしに救世主が現れました。
そうです、ハスさんです。後光が差して見えました。なんでそうなるのかわからなかったことに、ふんわりとヒントを与えてくださいました。
自己解釈ですけれど、わたしはどうやら上手く存在できていなくて不安定な状態だったみたいです。そんな状態だから他人を愛せるわけもなくて、結果上手くいかなくてまた好きになれない、みたいな。これ伝わりますかね?心の中ではしっくりきたのですが、言葉にするのはまた難しいですね。

久野さんの描かれる出来事には、それが含まれているのかなと思っているので。上手くはなくてもきちんとは愛せるようになりたい。と、そんな感じに思った稽古でした。

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食パンを齧りながら走る女子高生の気持ち。曲がり角でぶつかりたい。

10月18日 たこやき(七井)

すみません。毎度遅筆の七井です。

10月19日の稽古は、お昼から吹田で行いました。

中村さん 藤谷さん 七井の三人で前半のシーンを回します。
稽古場に行く前に、どういう風にやろうか? 等と考えるのですが大体稽古ではうまくいきません。
この日も、色々考えて「なんて面白いことを思いついたのだろう」と稽古に入りましたが、まあ上手くいきませんでした。

何故なのか。何故なんでしょう。それも考えなければなりません。

稽古後、稽古場の近くのたこ焼き屋にご飯を食べに行きました。
そこで久野さんと色々話をしました。

「おお!天啓が!」

という気持ちになったのですが、それが次の稽古でどう生かせるのか。

稽古場日誌 10/24(三田村)

みたむらです。

私今月末にも実は別の本番が入っておりまして、点の階は久々の稽古。長期間こつこつやっているせいか、なんか家に帰って来た感が有ります、笑

暫く見なかったうちに他の共演者の皆さんはどの方も興味深く変化しています。
長期間こつこつ積み上げることの面白さってこういうことなんだなあ、と色々考えさせられます。日常の生き方と稽古が渾然一体となって、、、なんかうまいこといおうとしましたけど言えなかったのでやめときます。

台本後半がアップデートされてどんとやって来ました。こつこつ覚えつつ、楽しんでやっていきたい。

好きなことばにブックマーク(にさわまほ)

お久しぶりの更新です。
制作助手のにさわまほです。

自分の劇団の公演が終わり、久しぶりに点の階の稽古場に参戦しました。
階の稽古場は長い期間やっているのに驚くぐらい変化が激しいので、どんなふうに変わっているかどきどきで見にいきました。



七井さんの代役として、同志社小劇場の後輩の男の子を連れて行きました。
そうしたら、何故か佐々木さんと雰囲気がそっくり。。
兄弟か従兄弟のやりとりを見ているようで、とても微笑ましい稽古風景でした。台詞も軽やかにぽんぽん進んで、今までとまったく違うお芝居を見ている感覚。ふたりとも楽しそうで素敵でした。



そして、一ヶ月ぶりくらいに稽古場を訪れたのですが、話の内容(解釈?)が大きく変わっていて衝撃的でした。
しかも、めちゃくちゃ納得がいく流れに。創作というのは、あらかじめどこかにある正解の形を掘り出していく作業なのだと実感しました。最初からこうなることが決まっていたような。

あと、台詞がするする入りやすい日だったからかもしれないのですが、今まで気づかなかった台詞の良さに気づいたというか。これ、こんな話だったんだと。この台詞もあの台詞もいい、作品全体が詩みたいで、好きなことばにブックマークをつけたくなるような気持ちで見ていました。

京都の学生さんや20代の演劇人さんたちに見てほしい。こんなお芝居があるってことをいろんなひとに知ってほしいです。
知ってもらうために制作は仕事をします!そう思えばファイト湧いてくる!

稽古場見学、代役担当、大歓迎でお待ちしています。
にさわまほでした。

11月になりました(佐々木峻一)

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10月31日の稽古日誌です。
なんとなくもう年末感が漂い始めている気もします。
7月から始まった稽古もいよいよ折り返し地点を曲がった雰囲気がします。
この日はぼくは島根の演劇祭から帰ってきて、三田村さんはピンク地底人から帰ってきて、久しぶりに出演者の揃った稽古でした。
ぼくや三田村さんのいないあいだにも稽古場ではたくさんの発見があったらしく、詳しくはここには書けませんが確かに作品は進化しています。
また台本が最後まで一通り完成して、新しいドラマが生まれていっています。
ぼくはこの台本は演じるのがとても恐ろしい台本だと思います。
だからとても楽しいし、とてもおもしろいということですので、ビビらずにもっとがんばらんとなと思うばかりです。
明日ももっとがんばらんとな。

終わりは知ってるけどね(中村彩乃:俳優)

こんばんは。アホほど寒いですね。こんな日は熱燗でしょう。熱燗が呑みたいですね。あとはね、おでん。最高じゃないですか。あとね、鍋。カキ鍋。
と、欲望を散らかすだけ散らかして片付けはしない中村です。

今日は稽古でした。
本日も稽古場に18歳(18歳て!)の若い方がお越しくださいました。本読みを手伝っていただいた後、最初から最後まで途中で止めつつも役者みんな揃って通しをしました。

やはり、後ろができると全体が変わりますね。

「始まったから終わる」のであって、後ろから辿るのは違うとは思うのですが、しかし俳優はどうあがいても「終わり」を知ってます。(台本上で)
これを蔑ろにして、あまりに何も考えなさすぎるのはお芝居の面白味を削っているように思います。
台本上どう進むかは知ってる、でも始まったから終わる。
この二つのバランスを考えることも俳優の役割ではないでしょうか。

今日は私にとっては後半が出来てから初の立ち稽古だったのですが、よく意味がわかる回でありました。あと、改めて「泣く」という表現のもつ恐ろしさも実感。
また、それぞれの課題と言うか役のもつベクトルが見えてきて、作品自体が少しずつクリアになってきました。
舞台上には四人いるから、関係性がいく通りもある。でもそれを全て踏まえてなりたつルートがきっとある。
おもしろい。
もう、三田村さんと私の回とか全然違いますよ。性別とか年とかキャリアとかではなく、芝居の意味が。
だって私は○○○○けど、三田村さんは○○○○○からね!
ふせたね!ふせてみたね!気になったら両方ともよろしくカモンくださいよ。

そんな稽古でありました。


ああ。余談ですが、ここ1ヶ月くらい「密度の高い状態で集中して稽古するにはどうすればよいのか」をよく考えます。
人間なので集中力のムラはあります。それでも、「日によって違うよね!へへ」となるのではなく、やはり考えないといけない。
どうすればより密度の高い稽古が出来るのか。

まだまだ検証中ではあるのですが、
・稽古場に来るまでに息をしっかりする
・稽古に来るまでの道中で自分がどういうコンディションなのか把握する
・稽古場到着の最初の30分の間で、自分が他の人とどんな風に話してるか(例:凄くテンション高く話してる、良いことがあって調子にのってる、なんか自意識過剰な話し方をしてる)を感じる
・自分の登場まで息を深くする
・集中力が散漫だと感じたら、視線をどこかに固定して余計に動かない

上記が中村の場合良いとわかりました。

気がついたら11月です。もーすぐに過ぎていくでしょう。本番までの時間で、一歩でも俳優として邁進したいもんです。
おもしろくしたい。

やはり最後も欲望を散らかしました。

稽古場日誌 11/6(三田村)

三田村です。

もう11月だなんて、あと約2ヶ月で今年が終わるなんて唖然。

今日は高槻の稽古場。高槻の稽古場はなんといっても場所が広くとれて良い!
今日は七井さん以優さんお休みのため、代役をお迎えして稽古でした。なかなか面白い方。本当にありがとうございました〜

僕はといえばまだ台詞がうろ覚えなのと、この場への居方が定まらなくでまだまだああでもないこうでもないと言う感じ。早く通せるようになりたい。

精神と時の部屋(七井)

11月7日の稽古は吹田でした。

ブログのタイトルは某アニメの例のアレなのですが、稽古場の部屋がそれを連想させるようなアレでした。

私は久しぶりの稽古だったので、少々不安になりながらも、注意深く進めようかなと思い稽古に望みました。

冒頭の時間は一人だったので、アップをしたり台詞を読んだりなどしていたのですが、どうもこう集中できないというか実際の
立ち稽古の時とは感じが違うなと思っていました。散漫というかボンヤリシテイルというか。

三田村さんや佐々木君が稽古場について、ではやりましょうか と始めると、自分の集中が相手に向かっていくのがわかりました。

相手がいることをきちんと意識することで、自分の輪郭がわかってくる という感じでしょうか。

とすると、普段ぼんやりと捉えている「自分」「自己」というものは何なのでしょう??

身体のある部分に痛みがあるときに、初めて「ここに身体があるのだな」と思うみたいに、「自分」という意識は相手からの意識に晒されることによって立ち上がってくるのかもしれない。

そんな事を思った稽古でした。



空間に居ること(中村彩乃:俳優)

こんにちは、前髪を無くしました中村です。いつだって別れは唐突に来るものです。

さて稽古でした。
先日のお部屋はとても反響がよく、故に(多分故に)何だかフワッとした台詞の読み方になってしまいました。

部屋というのも芝居の大事な要素で、ここの把握が狂ってくると、噛み合っていない何かようわからんものになってしまいます。
部屋の大きさ然り、音の聞こえかたしこり、何だったら部屋の色すら影響してくるかもしれません。

そういう些細な影響が芝居のちょっとしたことに反映する。芝居は積み木みたいな物ですから、1個違う積みかたをしたら後々が変わってくる。

部屋(空間)を知ることも一種技術ではないのかしらんと思いました。

題名って難しい。藤谷以優(俳優)


京都の稽古場はジャンプが置いてあるから嬉しい。どうも、藤谷です。

今回は舞台監督の濱田さんと宣伝美術の菜々さん、そして個人的に初めましての照明の根来さんも来られての稽古でした。役者も全員揃っていたので、合わせて9人も。すごい。

実寸に近い部屋での稽古だったのですが、なかなかどうして広いのです。わたしは役者でありながら大きな声を出す?というか相手に声をちゃんと届ける?聞いてもらう?ことがあまり得意でないので、割と悩みながら演じていました。
点の階お馴染みの感想戦の際に、受け入れてから相手に返す突破口が少しだけ見えた気がするのでこれからもじわじわと頑張っていこうと思います。

稽古場日誌 11/15(三田村)

みたむらです。
今日は高槻で稽古。横幅がしっかりとれる場所。

ようやく、、最後までの台詞があやふやな点もありつつ大体入ったかなあ、と。ちょっと追い付いたかな?
代役を立てつつ、トップから終わりまで流しました。自身も含め、何か見えてきたような気がしているみたいだけど、僕個人的にはまだまだですね…何かベストでは無いなあ。もやもや。

演出家はそこをやんわりしっかり指摘・アドバイスしてくれるので、ありがたいです。年をくってくると言ってくれる人が少なくなりますので。
一回一回楽しんで試行錯誤出来るように心がけよう!

制作日誌「無意識」(制作:中村)



11月18日、制作会議があったので、稽古場に行きました。

いつも通り、稽古場での様子をじっと見ていたのですが、その日は、面白い任務を承りました。
稽古中に、三田村さんがかっこいい瞬間、またはあまりかっこよくない瞬間を写真で残すというものです。
久野さんが、今かっこよかったとおっしゃった瞬間は残念ながら見逃したのですが、私なりにサイレントで黙々と観察し撮影しておりました。三田村さんがおっしゃるには、特に意識されていなかった瞬間だったそうです。無意識のほどよい力の抜け加減が自然なかっこよさにつながっていたのでしょうか?
気になるところです。

また、お芝居に関していろいろ実験をされていて、とても勉強になりました。
普段の何気ない動きでも、改めて考えてみるとよくわかってなかったりするもので。
これも無意識ですね。無意識な自然さというのが、面白い一日でした。

制作 中村美月

11月19日の稽古場日誌(佐々木峻一)

三田村さんと久野さんと、ぼくの滑舌について、それと三田村さんが格好よく立つことについて話しました。

久野さんが言うにはぼくの台詞のマ行がバ行に、ナ行がダ行に聞こえるらしい。これはまずい。ちょうどもうすぐ劇団☆新感線の方の発声ワークショップがあるので、そのときにいろいろ相談したいなあ。

三田村さんが格好よく立つことについても、よく久野さんと喋っている。確かに三田村さんのシーンを客席から見ているとめっちゃええなぁと思うことがよくある。そのとき何が起きているのかと久野さんに訊かれることがよくあるけど、なかなかいい言葉が見つからずにいた。この日は前に柄本明のインタビューで読んだことを思い出した。柄本明は「理想の俳優」について訊かれて、テーブルの上のコップを指して「こんなふうになれたらいい」って言ってた。めっちゃええなぁというときの三田村さんは、ぼくの目から見たらテーブルの上のコップみたいに舞台に立っているように見えます。
探したら記事出てきた。好きなインタビューです。
http://www.1101.com/21c_working/akira_emoto/

それから七井さんが来て、シーンを稽古。どうにもむずい。これまで5ヶ月くらい稽古してきて、あらためて難しさを痛感してます。あらためて点転って何だ?って感じだし。
途中から中村さんもやってきて、ぼくは三田村さんと壱劇屋ってぽいシーンをつくることに腐心して稽古が終わりました。
あらためて、変な稽古場だなあと思います。嬉しい稽古場。
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息と嘘 (中村彩乃:俳優)

めっきり寒くなってきましたが、皆様お元気ですか?
京都の寒さは「寒い」とかでなく「怒り」という感情がわき出てくるほどですが、皆様お元気ですか?

私は中村です。

さて、稽古でした。
最近俳優の嘘とは何かよく考えます。 というか、嘘はどこから嘘となるのかをよく考えます。
例えば、私なら現実では同シチュエーションの中ではこんな言い方をするけど、芝居の中の役は違う。

そこの差異のはかり方が最近の課題だと思っております。

さて。

ところで、今、正に今、「呼吸をその役に近づけてやってみる」という方法を思い付きました。今です。
上記の「そこの差異のはかり方が最近の」、このくだりあたりで思い付きました。なんてライブなブログよ。

いうちゃんや七井さんが、稽古し始めた頃と今で在り方が凄い違うなぁと思うのですが、そう言えば呼吸が違いますね。
呼吸が変わると身体と台詞が変わりますし。

自意識とかそういうの以外の、もっと具体的なところから、「嘘をつく」ことに対してアプローチをしてみようと思います。

「粛々と稽古する 11月22日」(七井)

佐々木君の台詞の出し方が急激に変化してきました。

台本に書いてある言葉そのままの台詞が出てきているといいますか、台詞が素直になってきているといいますか。

佐々木君演ずる「点転棋士」と「点転」という競技の存在感がググッと増してきています。

それに伴って、僕自身がこの劇の中でわかっていること、わかっていないこと の判別が少しづつはっきりしてきました。
今まで何をしてきたんや、と言われそうですが。

そして、これまで僕がこれまでやってきた演技も変えて行かねばなりません。

自分の視点から全体を見ようとする と言うのは、本当に難しいことなのだと思いました。
まだまだやることがたくさんあります。


あれ、まるで点転のようですね。


稽古_2822

写真は三田村さんです。

点転部(佐々木峻一)

こんにちは。佐々木です。
昨日は本番に近い広さで稽古することができました。本番の会場がやたら広いので、広い場所で稽古できるのはありがたいです。本番も近づいてきて、これからはなおさら広い場所を求めています。普通の広さの場所で丁寧にやり取りに集中して稽古するのもいいのですが、いかんせん本番が近づいてきていますので広さに慣れていかなくてはなりません。

しかし広いだけではもの足りません。やはり本番の会場は格式ある京都芸術センターの講堂です。天井の高さや台詞の響き方まで全く違います。早く小屋入りしたい!もうすぐ講堂を見学させていただける機会をいただけるので、その日まで想像の講堂で稽古です。

昨日は七井さんはお休みだったのですが、代役をやるために京都で役者をやっているチェサンが、お菓子を作ってきていただいた架城さん、ぼくの所属劇団努力クラブの制作の築地さんが来てくれました。皆様ありがとうございます。

チェサンが七井さんの代役をやってくれたのですが、いきなり台本を渡されて何も知らないままにやってもらったので、もちろん七井さんとは立ち方が全く違う。ぼくにはチェサンの着ている赤いジャンパーがどうにも気になるし、妙なボス感も気になって、こういう『・・・』もあったのか!と視野を広げるきっかけにすることができました。ありがとうございます。

今日の稽古が終わってから金麦を飲んで阪急合川駅で電車を待ちながら、いろいろあるけどあと僕の役にとって大切なのはどれだけ点転を愛することができるかだなあと思いました。
役者の技術とか他にもいろいろな問題はありますが、僕の役にとっては架空の競技である点転をどれほどきちんと愛することができるかが最重要課題で最後までつきまとう問題だと思いました。点転騎士役として最後まであきらめず点転を愛することをします。酔っ払って考えたことなのですがどうなんでしょう。

写真は架城さんが稽古場に持ってきてくださった手作りのブールドネージュに食らいつく人たちです。おいしかったです。架城さん、ありがとうございました。
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ハズレを見つけるの稽古(中村彩乃:俳優)

どうもです。
最近知ったのですが、コンビニに行くとワンカップの小さいものが100円で売っているのですね。
自分の人生を根本から揺らがすような衝撃でした。買ってはいないのですが、つい見入ってしまいました。100円で幸せを買えるなら安いもんですよ。幸せって一体…!
安い女、中村です。

稽古_663


さて、稽古でした。
ところで最近ブログでも噂になってるのですが、佐々木さんが随分変わられました。
俳優の「随分変わった」って、微々たる感じが多いのですが、いや、めっちゃ変わられました。
佐々木さんはとても純粋に素直に人のアドバイスやダメ出しを聞いている(ように私は見える)ので、そのスタイルはとても格好いいと思います。

と、先輩に良い刺激をもらう今日このごろで、私は今日もなんやら色々ゴニョゴニョと考えながら立っていました。

ところでところで。
よく「○○さんみたいに」という指示とか役作りをされる方がいるのですが、それが実は苦手であります。役作りという言葉がそもそもしっくりきません。

例えば、超絶アスリートの役をするのに身体を絞るとか、そういうのは良いなぁと思うのですが、それは身体作りであって役作りではないのではと思うのです。
役って、つくるものなんでしょうか…?
目下、思考の種です。


と、「○○さんみたく手法」に割りと最近までは苦手意識を持っておりました。
しかし、先日の稽古であまりに煮詰まったのでこの手法をとってみたところ、つっかえが減ったということがありました。
また他の俳優さんも、この手法で何か掴んだように見える場面があります。

ということで、今回も稽古場で同じ手法を使ってみました。
ずばり、「職場で皆から本当に本当に嫌われてる上司」でやってみました。(もうこの先輩が、一言では語り尽くせないくらい興味深いのですが、それはまた別の機会に)

そして結果!惨敗!

「おい!○さん!」と上司に心の中で罵声を浴びせましたが(利用して使えなかったら切り捨てるという最低の行為)!そんなことをしてても仕方ありません。

少し台詞がないところがあるので、その間に色々目の前で起きてることに反応しつつ、思考を巡らせます。

すると、単純に消去法で「これは止めよう」というルートが見えました。
そしてそれをたどると、その後のシーンが一気にしやすいものに。

芝居がうまくいかずに困ってたとき、ただ毎回同じように困ってても何も変わりません。
こういった試みひとつで、それがハズレであっても「これはハズレなのだなぁ」という一つの学習ができます。

私は最後は感覚的なものを信じてるのですが、その感覚的なものに行き着くためにまずは頭を使って稽古したいです。